幡が天下った幡日佐氷室両神社、『延喜式』10ヶ所の氷室の一つ
[住所]京都府南丹市八木町氷所中谷山11-73
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幡日佐神社(はたひさじんじゃ)は、京都府南丹市八木町氷所中谷山にある神社。山陽本線の吉富駅から県道408号線、あるいは八木駅から国道477号線を東進。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「幡日佐神社(丹波国・船井郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。現在は、幡日佐氷室両神社とも。

かつて、当社裏の峠を越えた神吉下村(現 南丹市八木町神吉)には、朝廷の氷室(氷を貯蔵し夏に献上する場所)が設けられていたとされる。

社伝によれば、その地には「氷室大明神」が鎮座していた。その後、時期は不明ながらその分祠を氷所に立てたのが当社の創建だという。

御祭神は品陀別命(応神天皇)。当初は、現境内の南方に位置する故宮(古宮)の地に営まれ、「氷所大明神」と称したという。

異説として、志賀剛『式内社の研究』によれば、秦氏と曰佐氏の祖神を祀ったのが創祀だという。

奈良時代の和銅年間(708年-715年)、近在の美濃田村(現 亀岡市美濃田)にある幡谷山に8流の幡が天から下った。

そのうちの1流は氷所大明神の境内樹にかかって金色の光を放っていた。これを機に、以後は社名を「幡久」と改めたと伝える。

『延喜式』には10ヶ所の氷室が記載されており、このうち丹波国桑田郡の「池辺」の氷室が当地の氷室に比定されている。また、この氷室は謡曲「氷室」の舞台にもなった。

安土桃山時代の天正19年(1591年)、故宮の地から移転し、社殿が造営された。現在も旧地には「故宮遺跡」の石碑が立つ。

神吉下村の氷室大明神が戦国の戦乱で焼亡していたことから、江戸時代前期の寛文9年(1669年)、同神(氷室命)を合祀、以後は「氷室幡久両社大明神」と称した。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治9年(1876年)には式内社の社名に基づき現社名に改称した。

社殿は大正10年(1921年)に焼失し、大正13年(1924年)に再建された。本殿は流造で中央部に破風が設けられている。手水舎では、裏山からの湧水が利用されている。

例祭は10月21日。近隣の日置地区にある大送神社高皇産霊命)との間で夫婦神事が行われる。当社神が男神、大送神社御祭神が女神。

例祭では、神功皇后の三韓征伐にちなみ、古式の神幸の神事・流鏑馬などが伝えられ、穀物の豊凶を卜うという。他に、7月1日が氷室祭、2月11日が祈年祭、11月23日が新嘗祭。

境内社に、若宮神社(応神天皇)、粟島神社(少彦名命。例祭は粟島祭で4月3日・9月3日)、稲荷神社(宇賀御魂神)、諏訪神社(諏訪大明神)がある。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、病気平癒
幡日佐神社 京都府南丹市八木町氷所中谷山
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