ヒタヒノモリのヒタヒ神、現在は境内社か、クロガネモチ
[住所]京都府南丹市園部町南大谷宮ノ後
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薮田神社(やぶたじんじゃ、藪田神社)は、京都府南丹市園部町南大谷宮ノ後にある神社。山陰本線の吉富駅と八木駅の西、国道477号線と372号線が交差する地の近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「志多非神社(丹波国・船井郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

奈良時代の和銅4年(711年)、あるいは神亀元年(721年)の勧請と伝わる。平安時代の寛治元年(1087年)、全焼したが、嘉保2年(1095年)に再建、造営された。

当地は古代山陰道の野口駅という駅家として栄えた。当社の森はかつてはヒタヒノモリと呼ばれており、ヒタヒ神として、崇敬されたという。

つまり志多非(したし)で、これが式内根拠になっているという。丹波四社の一つに数えられる名社だという。

『式内社の研究』によれば、志多非は「下樋」のことで、地下に通した水を流す樋。現在も舞殿の側にある溝のある下樋らしき木材が置かれている。

古文書によれば、37社もの小宮があって、広く亀岡・園部・篠山方面の39ヶ村が持ち帰って祀ったという。

昔、この地を籔田の庄といい、字を志田樋といっていたため、志田樋神社とも呼ばれたが、籔田の庄の総本社ということで、現社号に改められた。

近世には「籔田大明神」とも呼ばれた。現在は、月読命伊邪那岐命須佐之男命を祀り、境内社として、志田樋神社(猿田彦神社)があって、猿田彦命を祀る。

この志田樋神社の猿田彦命が、いわゆる先述のヒタヒ神だと考えられ、この境内社を式内社とする見方もある。なお、式内社「志多非神社」の参考社として、荒井神社がある。

明治になり、郷社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は10月17日。他の境内社に水分神社・稲荷神社がある。

鳥居の横には、クロガネモチの巨木がある。樹高22メートル、幹周3メートル以上。境内奥の御神木の杉(スギ)は、大江町の元伊勢神宮の神木の枝を持ち帰り育てたもの。

【ご利益】
事業成功、交通安全、五穀豊穣、厄災除け
薮田神社 京都府南丹市園部町南大谷宮ノ後
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