愛宕山の勧請元とされる愛宕本宮、鎌倉後期の本殿が重文
[住所]京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口1
[電話]0771-23-9341

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口にある神社。牛松山の西麓、府道25号線の東、瑞雲山神応寺の近く。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「阿多古神社(丹波国・桑田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

社殿によれば、創祀は神代で、山を神籬として祀られたという。その後、第26代継体天皇元年に社殿が創建されたと伝える。

『日本三代実録』によれば、「阿当護神(愛当護神)」の神階が貞観6年(864年)に従五位下、貞観14年(872年)に従五位上、元慶3年(879年)に従四位下に昇叙された。

また、当社伝によれば、当社の御分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷されたという。

これが現在の愛宕山の愛宕神社であるという。つまり、愛宕山は当社からの勧請とし、そのため「元愛宕」や「愛宕の本宮」とも称されている。

通常愛宕神社の総本社は愛宕山の愛宕神社とされるが、当社伝通りであれば、当社こそが総本社となる。鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」とある。

愛宕山の愛宕神社は式内社「阿多古神社」の論社、あるいは参考社とされるが、愛宕山はどちらかといえばやはり山城国だった可能性が高い。

山城国の式内社に「阿多古神社」などはなく、愛宕山の愛宕神社は往時、愛宕権現として仏教の聖地として考えられ、神社とはみなされていなかった、のかもしれない。

ともかく、当社付近には丹波国分寺が位置するが、その衰退で僧侶が当社に奉仕したこともあり、神仏習合によって仏像が立てられ「愛宕権現」と称されたという。

現在、その仏像は当社西にある養仙寺に移されている。明治6年(1873年)、村社に列した。当社の御祭神は、火産霊神(軻遇突智神)・伊邪那美神大国主神

例祭は10月21日で、鎮火祭が4月24日に斎行される。愛宕山の愛宕神社同様に「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとして信仰される。

本殿は鎌倉時代後期の弘安3年(1280年)頃の造営で、附 古材17個、屋根葺替帳2冊とともに、国の重要文化財に指定されている。

境内社に、八幡宮神社(応神天皇)、豊受比賣神社、火防神社(迦倶槌神)、稚産霊神社、埴山姫神社、少毘古那神社、蛭子神社、高良玉垂大神(武内宿禰)、天満宮社がある。

他に、不詳の社において、萩森大明神・宇都宮大明神と大山咋神大山祇神が祀られている。

このうち、八幡宮社は奈良時代の天平年間(729年-749年)、宇佐八幡宮から分霊して丹波国分寺境内に祀られたものだという。

その後、丹波国分寺は荒廃し、江戸時代後期の天保6年(1835年)になって当社境内に遷座したという。

境内の杜は、「ムササビの生息する森」として亀岡の自然100選の一つ。また、樹高19メートルのイヌマキ、樹高29メートルの大スギ、樹高32メートルのモミが亀岡の名木。

なお、市内には愛宕灯篭がいくつかあり、石灯篭内部にある燭台は町内を回覧板のように各家に回っていく。

この燭台は手提げ式の灯篭になっており、各家は回ってきた燭台に火を灯して、次の家に回す。

【ご利益】
火防、厄災除け、安産、病気平癒
愛宕神社 京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口
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