奈良期の創立、平安期に日吉を勧請、5月に中世風残す質素な王の舞
椎村神社 福井県小浜市若狭185
[住所]福井県小浜市若狭185
[電話]-

椎村神社(しいむらじんじゃ)は、福井県小浜市若狭185にある神社。内外海半島の南、付け根近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 遠敷郡「椎村神社」に比定される式内社(小社)。若狭の王の舞群で、近代社格では村社。

聖武天皇の御宇、奈良時代の天平3年(731年)の創立だという。御祭神は青海首椎根津彦神

平安時代前期の嘉祥3年(850年)、日吉神社の大光坊智真によって山王社が勧請され、相殿に祀った。

鎌倉時代の文永2年(1265年)の記録には「椎村ノ宮」とあり、戦国時代の享禄5年(1532年)の『神名帳写』にも記録されている。

江戸時代前期、小浜藩主酒井忠勝の嫡男、酒井忠朝は父忠勝の勘気に触れ、当地に蟄居し、当社参道の右手、谷川に沿って登った所に居住跡が今の残る。

寛永21年(1644年)、今も地元で「忠朝さん」と親しまれるその酒井忠朝が当社を再興。境内にある大きな石燈籠と神輿に、その御紋が刻まれているという。

江戸時代を通じて山王社と呼ばれていた。明治4年(1871年)『神祇志料』では「椎村御垣明神」、明治9年(1876年)『特撰神名蝶』には「御垣山王」。

大正9年(1920年)、無格社山神社(大山祇命)を合祀し、現在は相殿に祀る。現在の御祭神には、山王社の時の神は見当たらない。神紋は右三つ巴。

例祭は5月5日。前日の4日が宵祭りで、6日が行事。宵祭りには、幟立て、オタビトリ、粽巻き、シンジゴトなどがある。

オタビトリとは、御旅所に敷く盛砂を用意することで、シンジゴトとは、神事ごとのことで、ナガトコにおける酒盛を伴う祭りの事前打ち合わせ。

当日の本祭りには居住地区から離れた神社から通称オフダバ(お札場)の御旅所へ神輿の渡御がある。

御旅は大鉾を先頭に、子供衆(男児)による榊、大太鼓、大神輿、獅子頭を納めた小神輿、神主、稚児、禰宜、宿主が持つ粽入りの櫃の順に練る。

宵祭りに1回、本祭りに4回、獅子舞と天狗舞とがある。獅子舞は二人立ち。天狗舞は王の舞とも呼ばれる。いわゆる若狭の王の舞群の一つ。

天狗面を被ったツキヤクが御幣の垂れをつけた鉾を手にしてトブ。つまり演ずる。災厄(人身御供)を避け、作物を荒らすシシ退治を模したものだと伝えている。

昔、村々を荒らす悪神が出没したため、若くてきれいな娘と粽でもてなし、悪神が油断して眠っている隙に、天狗に扮した若神がこれを退治したという。

他所で見られる王の舞に比して、その衣装や舞自体は非常に素朴とされるが、その分中世以来の集落祭礼の伝統を良く伝える事例と考えられている。

【ご利益】
海上安全・大漁満足、五穀豊穣、厄災除け
椎村神社 福井県小浜市若狭
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