弘法大師の祈祷、権現の服を洗った女、小石積みの伝承
[住所]京都府南丹市美山町頭巾山山頂
[電話]-
権現神社(ごんげんじんじゃ)は、京都府南丹市美山町の頭巾山山頂にある神社。古和木大権現とも、大権現堂とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 遠敷郡「許波伎神社」に比定される式内社(小社)の参考社。
標高871メートルの頭巾山の狭い山頂、国土地理院「二等三角点」の木標を背に鎮座する。頭巾山は最近まで女人禁制の霊峯として崇められた。
綾部市故屋岡町平田にある山口神社を過ぎて、頭巾山登山道にさしかかった所には冠巾山十二社権現(ときんざんじゅうにしゃごんげん)がある。
当社と冠巾山十二社権現の関係は明確には不明だが、女性や登山できない老人などが、遥拝した地とも考えられている。
登山道を進むと、10メートル以上の落差のある美しい滝や、美しい警告、ブナやミズメ林、アルプスの這い松のような日本石楠花(シャクナゲ)と触れ合える。
当社の創祀年代、由緒、御祭神はいずれも不明。ただし、興味深い逸話がいくつか伝わっている。一つ目は、第56代清和天皇の御代、平安時代前期の天安元年(857年)。
旱魃で各地の万民が難渋し、守敏僧都に命じ、雨乞いを祈祷させたところ、7日目に京都のみに雨が降った。
朝廷は弘法大師空海に命じ、神泉苑で雨乞いを祈祷させたところ、降らず、弘法大師は先の僧都が諸龍を瓶中へ呪力で閉じ込めたと思慮した。
そこで、別の法で祈祷すると、雨が降り、一龍がこの頭巾山へ入ったという。ただし、空海の入滅は承和2年(835年)。
もう一つは、ある僧が長旅のため、汚れた白衣で登るのを見た山森村の土民某の女が、白衣を川で洗い進めた。
これに対して、僧は大変喜び、登山し、再び下山しなかったという。この僧が古和木大権現で、その後女人禁制の頭巾山には山森村の女は登れるようになったという。
また、参拝者は必ずこの山森村で1泊し、登山するようになったという。冠巾山十二社権現も含め、水の神が祀られているようだ。
参詣者は麓の小石を拾い、山上に運び、祠の周囲に積む風習があるという。もし山上の石塊を一つでも持ち去れば、必ず神罰を蒙り、洪水の厄災に遭う、と伝わる。
往時は若狭遠敷郡、桑田郡、何鹿郡から参拝する者が多く、船井郡はもちろん、遠く播州方面よりも参拝があったという。
当社の例祭は山麓の地方民により行われた。賽物が特異だったというが、詳細は不詳。
江戸時代中期の安永2年(1773年)6月の銘のある「大権現御神」と彫られた手水台がある。
なお、式内社「許波伎神社」は所在不明とするのが一般的か。参考社として他に、先の山口神社の他、福井県大飯郡おおい町川上の新鞍神社に合祀された山神神社がある。
【ご利益】
厄災除け、水難除け、祈雨・天候、五穀豊穣
【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
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権現神社(ごんげんじんじゃ)は、京都府南丹市美山町の頭巾山山頂にある神社。古和木大権現とも、大権現堂とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 遠敷郡「許波伎神社」に比定される式内社(小社)の参考社。
標高871メートルの頭巾山の狭い山頂、国土地理院「二等三角点」の木標を背に鎮座する。頭巾山は最近まで女人禁制の霊峯として崇められた。
綾部市故屋岡町平田にある山口神社を過ぎて、頭巾山登山道にさしかかった所には冠巾山十二社権現(ときんざんじゅうにしゃごんげん)がある。
当社と冠巾山十二社権現の関係は明確には不明だが、女性や登山できない老人などが、遥拝した地とも考えられている。
登山道を進むと、10メートル以上の落差のある美しい滝や、美しい警告、ブナやミズメ林、アルプスの這い松のような日本石楠花(シャクナゲ)と触れ合える。
当社の創祀年代、由緒、御祭神はいずれも不明。ただし、興味深い逸話がいくつか伝わっている。一つ目は、第56代清和天皇の御代、平安時代前期の天安元年(857年)。
旱魃で各地の万民が難渋し、守敏僧都に命じ、雨乞いを祈祷させたところ、7日目に京都のみに雨が降った。
朝廷は弘法大師空海に命じ、神泉苑で雨乞いを祈祷させたところ、降らず、弘法大師は先の僧都が諸龍を瓶中へ呪力で閉じ込めたと思慮した。
そこで、別の法で祈祷すると、雨が降り、一龍がこの頭巾山へ入ったという。ただし、空海の入滅は承和2年(835年)。
もう一つは、ある僧が長旅のため、汚れた白衣で登るのを見た山森村の土民某の女が、白衣を川で洗い進めた。
これに対して、僧は大変喜び、登山し、再び下山しなかったという。この僧が古和木大権現で、その後女人禁制の頭巾山には山森村の女は登れるようになったという。
また、参拝者は必ずこの山森村で1泊し、登山するようになったという。冠巾山十二社権現も含め、水の神が祀られているようだ。
参詣者は麓の小石を拾い、山上に運び、祠の周囲に積む風習があるという。もし山上の石塊を一つでも持ち去れば、必ず神罰を蒙り、洪水の厄災に遭う、と伝わる。
往時は若狭遠敷郡、桑田郡、何鹿郡から参拝する者が多く、船井郡はもちろん、遠く播州方面よりも参拝があったという。
当社の例祭は山麓の地方民により行われた。賽物が特異だったというが、詳細は不詳。
江戸時代中期の安永2年(1773年)6月の銘のある「大権現御神」と彫られた手水台がある。
なお、式内社「許波伎神社」は所在不明とするのが一般的か。参考社として他に、先の山口神社の他、福井県大飯郡おおい町川上の新鞍神社に合祀された山神神社がある。
【ご利益】
厄災除け、水難除け、祈雨・天候、五穀豊穣
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