渡海族の祖神を奉斎、後に国家鎮護の霊神を祀る、龍の舞
[住所]福井県大飯郡高浜町小和田51-14
[電話]-
伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)は、福井県大飯郡高浜町小和田にある神社。小浜線の青郷駅の北。国道27号線の丹後街道で関屋川を渡り北進する。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 大飯郡「伊射奈伎神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。往昔、当地方に居住の先人が渡海族の祖神である綿津海三柱命、つまり底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神を祭祀したのが起源だとされる。
上古、霊峰青葉山を領(うしは)き坐す伊弉諾命・伊弉冉命の2柱を国家鎮護の霊神と仰ぎ、山麓に社殿を築いて創祀した。
また同時に、ゆかりのある神々13柱を勧請して相殿に奉祀したという。『若狭国神名帳』にも記載されている。
平安時代に花山院が聖駕を駐めて、社前に欅を手植されたと伝えられている。当地随一の霊社だという。
鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1199年)、金剱明神を合祀して、「金剱宮」と尊称した。
もとは金剱山に鎮座した金剱明神は、奈良時代初期の養老3年(719年)に泰澄大師が創立したという。現在も当社の境内社として存在している。
鎌倉時代中期の文永2年(1265年)、「大田文」に社領神田2反とあり、また、松尾寺の参道にもあたり、多くの参詣者があったという。
明治11年(1878年)、現社号に復し、明治44年(1911年)に氏子区内の4社を合祀した。大正元年(1912年)8月26日、神饌幣帛料供進社に指定された。
大正4年(1915年)に本殿を修復、拝殿を新築した。昭和3年(1928年)、大典記念事業に玉垣を建立。神楽殿、参集所、宮守舎などを整えた。
昭和46年(1971年)3月、当社のもとの境外社である中古地神社が以前に鎮座していた中古山麓で、弥生時代後期の石剣と石矛が、ほぼ完全な形で出土した。
両者一組での出土であり、当地方の古代史に大きな意味と価値を持つものだという。国の重要文化財に指定された。
昭和63年(1988年)、昭和天皇御在位60年を記念して、神饌所兼直会所を改築し、社頭を一新した。
御祭神は、伊弉諾命・伊弉冉命。阿遲鉏高日子根命・宇津志国玉命・綿津海三柱命・五男三女八柱命・中古地大神・熊野久須毘大神・常勝大神・金刀毘羅大神を併せて祀る。
例祭は10月17日に近い日曜日。王の舞が奉納される。いわゆる若狭の王の舞群の一つ。ただし当地では、龍舞(龍の舞)・田楽の舞と呼ぶ。
当日は午前中、当社から行列が出発し、途中で幣を納めながら1時間ほどかけて、太鼓、鉦、笛を鳴らしながら回り、当社に戻る。
その後当社で神事が行われ、境内にある舞堂で龍舞と田楽が演じられる。午後、再び行列を作り、山の神、青葉山、八幡様へと神楽(太鼓、鉦、笛)が奉納される。
当社の境内社に、先の金剱神社の他、恵比須神社と稲荷神社がある。なお、式内社「伊射奈伎神社」の論社は他に、おおい町福谷に式内同名神社がある。
【ご利益】
夫婦和合、子宝・安産、地域安全
【関連記事】
・若狭の王の舞群 - 若狭の浦々に続く鯖街道、伝統を守る集落の祭り「王の舞」
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)は、福井県大飯郡高浜町小和田にある神社。小浜線の青郷駅の北。国道27号線の丹後街道で関屋川を渡り北進する。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 大飯郡「伊射奈伎神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。往昔、当地方に居住の先人が渡海族の祖神である綿津海三柱命、つまり底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神を祭祀したのが起源だとされる。
上古、霊峰青葉山を領(うしは)き坐す伊弉諾命・伊弉冉命の2柱を国家鎮護の霊神と仰ぎ、山麓に社殿を築いて創祀した。
また同時に、ゆかりのある神々13柱を勧請して相殿に奉祀したという。『若狭国神名帳』にも記載されている。
平安時代に花山院が聖駕を駐めて、社前に欅を手植されたと伝えられている。当地随一の霊社だという。
鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1199年)、金剱明神を合祀して、「金剱宮」と尊称した。
もとは金剱山に鎮座した金剱明神は、奈良時代初期の養老3年(719年)に泰澄大師が創立したという。現在も当社の境内社として存在している。
鎌倉時代中期の文永2年(1265年)、「大田文」に社領神田2反とあり、また、松尾寺の参道にもあたり、多くの参詣者があったという。
明治11年(1878年)、現社号に復し、明治44年(1911年)に氏子区内の4社を合祀した。大正元年(1912年)8月26日、神饌幣帛料供進社に指定された。
大正4年(1915年)に本殿を修復、拝殿を新築した。昭和3年(1928年)、大典記念事業に玉垣を建立。神楽殿、参集所、宮守舎などを整えた。
昭和46年(1971年)3月、当社のもとの境外社である中古地神社が以前に鎮座していた中古山麓で、弥生時代後期の石剣と石矛が、ほぼ完全な形で出土した。
両者一組での出土であり、当地方の古代史に大きな意味と価値を持つものだという。国の重要文化財に指定された。
昭和63年(1988年)、昭和天皇御在位60年を記念して、神饌所兼直会所を改築し、社頭を一新した。
御祭神は、伊弉諾命・伊弉冉命。阿遲鉏高日子根命・宇津志国玉命・綿津海三柱命・五男三女八柱命・中古地大神・熊野久須毘大神・常勝大神・金刀毘羅大神を併せて祀る。
例祭は10月17日に近い日曜日。王の舞が奉納される。いわゆる若狭の王の舞群の一つ。ただし当地では、龍舞(龍の舞)・田楽の舞と呼ぶ。
当日は午前中、当社から行列が出発し、途中で幣を納めながら1時間ほどかけて、太鼓、鉦、笛を鳴らしながら回り、当社に戻る。
その後当社で神事が行われ、境内にある舞堂で龍舞と田楽が演じられる。午後、再び行列を作り、山の神、青葉山、八幡様へと神楽(太鼓、鉦、笛)が奉納される。
当社の境内社に、先の金剱神社の他、恵比須神社と稲荷神社がある。なお、式内社「伊射奈伎神社」の論社は他に、おおい町福谷に式内同名神社がある。
【ご利益】
夫婦和合、子宝・安産、地域安全
【関連記事】
・若狭の王の舞群 - 若狭の浦々に続く鯖街道、伝統を守る集落の祭り「王の舞」
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
コメント