父子は静志、静石の転訛で、出石と同義か? もと蔵王権現、式内認定
[住所]福井県大飯郡おおい町父子46-1
[電話]-
静志神社(しずしじんじゃ)は、福井県大飯郡おおい町父子にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 大飯郡「靜志神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
小浜線の若狭本郷駅から県道1号線を南へ道なりに進み、やまびこ会館あたりで南下、舞鶴若狭自動車道の手前。佐分利川の支流である父子川の源流、標高316メートルの父子山の裾に鎮座する。
創祀年代は不詳。一説には奈良時代の創建という。『若狭国神名帳』に「正五位 志津志明神」とある。現在の御祭神は少名毘古名神。
鎮座地の父子(ちちし)は、当社名、あるいは静石の訛りで、出石と同じものだと考えられ、本来の御祭神は、天日槍命とする説もある。
現社殿は江戸時代後期の天保年間(1831年-1845年)のものだという。
かつては、小浜の修験者である杉本院委道により、父子の鎮守山王宮(獅子宮)が式内社「静志神社」と伝承されてきた。
明治8年(1875年)、さらに奥にある、大谷口山麓の蔵王権現と呼ばれた当社が式内社に認定され、明治9年(1876年)には村社に列した。
明治44年(1911年)11月、周囲の無格社である垂水神社(水分神)、天満神社(菅原道真)、三島神社(事代主命)、稲荷神社(倉稲魂命)の四社を合祀した。
このうち垂水神社は、『若狭国神名帳』に「従三位 垂水明神」とあり、当社よりもその時はずいぶん格上だった。
垂水神社について、江戸時代中期の寛延2年(1749年)『若狭国志』には、「父子の滝の傍に厳洞あり、その内に小祠を置きて祭る」とある。
例祭は10月5日。境内には、幹周6.66メートル、樹高15メートルのスダジイがあり、御神木。樹齢は300年。「おおい町指定天然記念物 すだじい」と彫られた石柱がある。
その近くには牛石が安置されている。境内の南の端にも2本のスダジイの古木がある。本殿石垣上には明治43年(1910年)8月建立の出雲丹後の狛犬がある。
【ご利益】
リフレッシュ、病気平癒、一族・子孫繁栄
【関連記事】
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
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静志神社(しずしじんじゃ)は、福井県大飯郡おおい町父子にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 大飯郡「靜志神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
小浜線の若狭本郷駅から県道1号線を南へ道なりに進み、やまびこ会館あたりで南下、舞鶴若狭自動車道の手前。佐分利川の支流である父子川の源流、標高316メートルの父子山の裾に鎮座する。
創祀年代は不詳。一説には奈良時代の創建という。『若狭国神名帳』に「正五位 志津志明神」とある。現在の御祭神は少名毘古名神。
鎮座地の父子(ちちし)は、当社名、あるいは静石の訛りで、出石と同じものだと考えられ、本来の御祭神は、天日槍命とする説もある。
現社殿は江戸時代後期の天保年間(1831年-1845年)のものだという。
かつては、小浜の修験者である杉本院委道により、父子の鎮守山王宮(獅子宮)が式内社「静志神社」と伝承されてきた。
明治8年(1875年)、さらに奥にある、大谷口山麓の蔵王権現と呼ばれた当社が式内社に認定され、明治9年(1876年)には村社に列した。
明治44年(1911年)11月、周囲の無格社である垂水神社(水分神)、天満神社(菅原道真)、三島神社(事代主命)、稲荷神社(倉稲魂命)の四社を合祀した。
このうち垂水神社は、『若狭国神名帳』に「従三位 垂水明神」とあり、当社よりもその時はずいぶん格上だった。
垂水神社について、江戸時代中期の寛延2年(1749年)『若狭国志』には、「父子の滝の傍に厳洞あり、その内に小祠を置きて祭る」とある。
例祭は10月5日。境内には、幹周6.66メートル、樹高15メートルのスダジイがあり、御神木。樹齢は300年。「おおい町指定天然記念物 すだじい」と彫られた石柱がある。
その近くには牛石が安置されている。境内の南の端にも2本のスダジイの古木がある。本殿石垣上には明治43年(1910年)8月建立の出雲丹後の狛犬がある。
【ご利益】
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