開拓の祖神、天香山命を祀る、摂社に天日矛祀る同規模の牛尾神社
[住所]福井県大飯郡高浜町下車持44-4-1
[電話]-
香山神社(かごやまじんじゃ)は、福井県大飯郡高浜町下車持にある神社。高森乃宮香山神社とも。小浜線の若狭本郷の西、国道27号線の丹後街道の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 大飯郡「香山神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
公道27号線から階段を上り、鳥居をくぐると参道が南へ続き、昭和13年(1938年)10月建立の滋賀県型狛犬がある。
その狛犬の先、小浜線の線路を越える高架になっている。さらにその先に石の垣に囲まれた東向きに境内がある。
ちなみに、この石垣は本郷小堀の山ノ神古墳群から搬出した石材を使用しているという。
創祀年代は不詳。初代神武天皇の功臣である天香山命を先人達が開拓の祖神として奉斎したのが起源だと考えられている。
上古、天香山命の後裔にあたる若犬養宿祢の氏人が当地方の若狭に居住し、氏神として加来山(香具山)に創祀したもの、とも。
飛鳥時代末期の大宝2年(702年)頃か、 少なくとも奈良時代の天平13年(741年)より延暦12年(793年)の間には創立されたという。
南北朝時代初期の暦応元年(1338年)、丹州丹後の大川十六所明神が当地に遷座して合祀した。このことから、高森十六所明神と尊称されるようになったと考えられる。
大川十六所明神は京都府舞鶴市大川の大川神社と何か関わりがあるのだろうか。ともかく、この頃、社領は実に150石あり、社運も隆昌したと伝わる。
室町時代の永享4年(1432年)と永享7年(1435年)に続けて社殿造営があり、江戸時代前期の正保3年(1646年)には酒井忠勝が再興、造営したという。
文化元年(1803年)には伴信友が春祭りに際して参拝し、下記の歌を詠んだという。
御祭神は、開拓の神としての天香山神。猿田彦命(道びきの神)・蛭子命(恵毘須の神)・事代主命(福徳の神)を配祀する。
現在の例祭は春季例大祭が4月23日、秋季例大祭が10月28日。春の宮当祭が3月13日、秋の宮当祭が10月8日。
境内社に、向かって右側の本社と同規模のものが左手に摂社として牛尾神社(天日槍命・八王子命)がある。ここでは、八王子命は五男三女命のこと。
八王子乃宮とも呼ばれる牛尾神社は、第11代垂仁天皇の御宇、来朝帰化した新羅国の皇子天日槍命の一族、あるいはその末裔が当地で祖神を祀ったものと考えられる。
奈良時代末期の延暦10年(791年)には存在していたと考えられ、当時は牛を殺して漢神を祀ったようだが、それが禁止されたために衰微したという。
鎌倉・室町時代には、本社と同じように独自の社領を持ち、社運が興隆したと伝わる。
戦国時代になり、対岸の犬見の氏神を遷座し、合祀した。今もなお、犬見の白石に高森屋敷という小丘があるという。
本社である当社も『若狭国神名帳』に「正五位 香子山明神」とあるが、牛尾神社も「正五位 杜本明神」とある。
南北朝時代初期の合祀以来、本社である当社は下社高森十六所明神社とも呼ばれたのに対して、牛尾神社は上社高森天日八王子社と呼ばれた。
上社・下社というのであれば、通常、本社が上社、摂社が下社になると思われるが、ここでは逆。両社の位置関係か、それとも、ほんらい、牛尾神社が主だったか。
本社と牛尾神社の両社の間をつないだ渡り廊下のような場所に、夷(恵美須)神社、熊野神社、事平神社、荒神神社、瘡神神社、稲荷神社の各社が祀られている。
境内左手の南側と山側に二つの祠があり、鎮守乃神・古奥宮後拝所、大山祇神・神奈備香具山拝所である。
また、境内西側の林に「鶏塚」がある。配祀神の事代主命の「鶏ノ声聞ユル里ハ、我ガ縁ノ地」の伝承にちなむ。
当社の神使は鶏で、早朝に参詣して神鶏の声を聞くと「福が授かる」と伝えられている。他に、境外末社として、笠掛神社(手置帆負命・彦狹知命・大山祇神)がある。
【ご利益】
地域安全、交通安全、商売繁盛

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香山神社(かごやまじんじゃ)は、福井県大飯郡高浜町下車持にある神社。高森乃宮香山神社とも。小浜線の若狭本郷の西、国道27号線の丹後街道の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 大飯郡「香山神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
公道27号線から階段を上り、鳥居をくぐると参道が南へ続き、昭和13年(1938年)10月建立の滋賀県型狛犬がある。
その狛犬の先、小浜線の線路を越える高架になっている。さらにその先に石の垣に囲まれた東向きに境内がある。
ちなみに、この石垣は本郷小堀の山ノ神古墳群から搬出した石材を使用しているという。
創祀年代は不詳。初代神武天皇の功臣である天香山命を先人達が開拓の祖神として奉斎したのが起源だと考えられている。
上古、天香山命の後裔にあたる若犬養宿祢の氏人が当地方の若狭に居住し、氏神として加来山(香具山)に創祀したもの、とも。
飛鳥時代末期の大宝2年(702年)頃か、 少なくとも奈良時代の天平13年(741年)より延暦12年(793年)の間には創立されたという。
南北朝時代初期の暦応元年(1338年)、丹州丹後の大川十六所明神が当地に遷座して合祀した。このことから、高森十六所明神と尊称されるようになったと考えられる。
大川十六所明神は京都府舞鶴市大川の大川神社と何か関わりがあるのだろうか。ともかく、この頃、社領は実に150石あり、社運も隆昌したと伝わる。
室町時代の永享4年(1432年)と永享7年(1435年)に続けて社殿造営があり、江戸時代前期の正保3年(1646年)には酒井忠勝が再興、造営したという。
文化元年(1803年)には伴信友が春祭りに際して参拝し、下記の歌を詠んだという。
こもまくら 高森山の 高々に あふぎて祝ふ 神祭りかも創建以降、何度かの造営・修補を経て、現在の社殿は江戸時代後期の文化10年(1813年)の造営になる。
御祭神は、開拓の神としての天香山神。猿田彦命(道びきの神)・蛭子命(恵毘須の神)・事代主命(福徳の神)を配祀する。
現在の例祭は春季例大祭が4月23日、秋季例大祭が10月28日。春の宮当祭が3月13日、秋の宮当祭が10月8日。
境内社に、向かって右側の本社と同規模のものが左手に摂社として牛尾神社(天日槍命・八王子命)がある。ここでは、八王子命は五男三女命のこと。
八王子乃宮とも呼ばれる牛尾神社は、第11代垂仁天皇の御宇、来朝帰化した新羅国の皇子天日槍命の一族、あるいはその末裔が当地で祖神を祀ったものと考えられる。
奈良時代末期の延暦10年(791年)には存在していたと考えられ、当時は牛を殺して漢神を祀ったようだが、それが禁止されたために衰微したという。
鎌倉・室町時代には、本社と同じように独自の社領を持ち、社運が興隆したと伝わる。
戦国時代になり、対岸の犬見の氏神を遷座し、合祀した。今もなお、犬見の白石に高森屋敷という小丘があるという。
本社である当社も『若狭国神名帳』に「正五位 香子山明神」とあるが、牛尾神社も「正五位 杜本明神」とある。
南北朝時代初期の合祀以来、本社である当社は下社高森十六所明神社とも呼ばれたのに対して、牛尾神社は上社高森天日八王子社と呼ばれた。
上社・下社というのであれば、通常、本社が上社、摂社が下社になると思われるが、ここでは逆。両社の位置関係か、それとも、ほんらい、牛尾神社が主だったか。
本社と牛尾神社の両社の間をつないだ渡り廊下のような場所に、夷(恵美須)神社、熊野神社、事平神社、荒神神社、瘡神神社、稲荷神社の各社が祀られている。
境内左手の南側と山側に二つの祠があり、鎮守乃神・古奥宮後拝所、大山祇神・神奈備香具山拝所である。
また、境内西側の林に「鶏塚」がある。配祀神の事代主命の「鶏ノ声聞ユル里ハ、我ガ縁ノ地」の伝承にちなむ。
当社の神使は鶏で、早朝に参詣して神鶏の声を聞くと「福が授かる」と伝えられている。他に、境外末社として、笠掛神社(手置帆負命・彦狹知命・大山祇神)がある。
【ご利益】
地域安全、交通安全、商売繁盛

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