書紀記載の逸話、御神島に降臨した神、氣比神宮奥宮の常宮と関連
常神社 福井県三方上中郡若狭町常神10-2
[住所]福井県三方上中郡若狭町常神10-2
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常神社(つねじんじゃ)は、福井県三方上中郡若狭町常神にある神社。常神半島の北方、県道216号沿い。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 三方郡「常神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

常神半島は若狭湾国定公園の見どころの一つ。特に海水の透明度が高く、海中景観が優れていることから、海域公園地区に指定されている。

常神半島はその地理的条件から、現在に至るまで人の手があまり入っておらず、壊されずに残っている自然景観や古くからの生業としての漁業風景などが見られる。

当社もそんな自然あふれた地に、巨樹を含む見事な社叢を形成し、ゆったりと鎮座している。

創建年代は不詳。主祭神は神功皇后若狹彦神若狹姫神鵜鵜草葺不合尊天照皇大神・柳原神・渡津松神・神留間神・三望大神を合祀する。

養蚕の神としても信仰されたという。もともと現在地に鎮座したが、平安時代の寛和2年(989年)、常神半島沖にある御神島(おんがみじま)に遷座した。

さらに天仁元年(1108年)、現在地に復座したという。御神島に遷座する前に当地で奉斎されていた神が渡津松神。

また、神留間神は常神の西方の浜辺に鎮座していたものを合祀したものだという。御神島にも昔は旧地に祠があったという。

ただし、飛鳥時代の第34代舒明天皇2年(629年)2月、御神島に当社神が降臨したことが創祀だともいう。

敦賀湾奥に鎮座する氣比神宮の奥宮は、敦賀半島にある常宮神社である。この常宮の神官が、当社で祭祀を行ったという記録が残っているという。

『日本書紀』仲哀天皇2年の条に、熊襲征伐へ向かう第14代仲哀天皇に同行するため、神功皇后は敦賀から出発し、「渟田門(ぬたのみなと)」で船上で食事をしたとある。

この渟田門は、常神半島と敦賀半島の間の海であるとされている。

その際、船の周りに多くの鯛が集まったので、皇后が酒を注ぐと、鯛は酔ったように浮き上がり、漁民らは、聖王(皇后)の下さった魚として、多くの魚を得た、という。

以来、6月になると、当地の魚は酔ったように浮き上がり、口をパクパクとさせるようになったという。

『古事記』の、氣比神宮を舞台とした、武内宿禰命伊奢沙別命、第15代応神天皇のイルカに関する説話と通底するものがある。

例祭は4月8日、あるいは23日。王の舞があるというが、県が発表している「若狭路に伝わる中世の芸能 王の舞」の一覧に当社名は記載されていない。

石段の左右には大正7年(1918年)5月建立の狛犬がある。

【ご利益】
大漁満足、海上安全、事業成功、厄災除け
常神社 福井県三方上中郡若狭町常神
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