伊屋山の射矢神社、明治期に金銀子・市姫両社合併で式内社名に
[住所]福井県三方郡美浜町郷市25-16
[電話]-
伊牟移神社(いむいじんじゃ)は、福井県三方郡美浜町郷市にある神社。小浜線の美浜駅の南、美浜町役場の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 三方郡「伊牟移神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代や由緒は不詳。もとは伊屋山、現在の土井山に鎮座した射矢神社が、伊屋宮明神・伊矢宮・伊屋宮とも呼ばれ、式内社と考えられていた。
伊屋山は、もとは神奈備、御神体山だったと考えられ、現在では俗にゼンダイ山と称しているという。
射矢神社は、室町時代の享徳3年(1454年)、一本の矢が天より降り来たことにより、射矢大明神と崇められたという。
ただ、式内社「伊牟移神社」は『若狭国神名帳』には記載されていないため、平安時代中期以降、実際には廃絶していた可能性が指摘されている。
社名の読みは、「いむい」「いもい」、また「いもや」などともされ、「いもや」であれば、「忌屋」「忌宮」の意とも。長門国の式内社に忌宮神社がある。
伴信友『神社私考』では、「郷市村に伊屋山といふがありて、伊屋宮明神の社あり、又伊矢宮とも書り」とある。
また、「三神相殿に坐す、一座は太神宮、祭日は7月27日、一座は八幡宮、祭日は8月15日、一座は諏訪大明神、祭日は11月初の寅日なり」。
さらに、「此中に太神宮と申が本社なりと云へり、この伊屋といへるが、もしくは伊牟移の訛れるにはあらざるか」としている。
明治41年(1908年)、射矢神社は現在地にあった金銀子神社(きぎすじんじゃ)に合祀され、市姫神社も合祀、現社号に改称された。昭和7年(1932年)4月、社殿が造営された。
金銀子神社は、飛鳥時代の朱鳥5年(690年)、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)を勧請したと伝えられ、当地の産土神として崇敬されていた。
市姫神社は、郷市という地名が、郷民が集って市を立てて諸物を売買したことにちなむとされ、その商売の神だったようだ。
現在までに、主祭神は国常立命。伊弉册尊・誉田別命・天津児屋根命・市姫大神・誉田別命・大日霊貴命・伊弉諾尊・建御名方命を合祀している。例祭は3月20日。
【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け、商売繁盛
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伊牟移神社(いむいじんじゃ)は、福井県三方郡美浜町郷市にある神社。小浜線の美浜駅の南、美浜町役場の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 三方郡「伊牟移神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代や由緒は不詳。もとは伊屋山、現在の土井山に鎮座した射矢神社が、伊屋宮明神・伊矢宮・伊屋宮とも呼ばれ、式内社と考えられていた。
伊屋山は、もとは神奈備、御神体山だったと考えられ、現在では俗にゼンダイ山と称しているという。
射矢神社は、室町時代の享徳3年(1454年)、一本の矢が天より降り来たことにより、射矢大明神と崇められたという。
ただ、式内社「伊牟移神社」は『若狭国神名帳』には記載されていないため、平安時代中期以降、実際には廃絶していた可能性が指摘されている。
社名の読みは、「いむい」「いもい」、また「いもや」などともされ、「いもや」であれば、「忌屋」「忌宮」の意とも。長門国の式内社に忌宮神社がある。
伴信友『神社私考』では、「郷市村に伊屋山といふがありて、伊屋宮明神の社あり、又伊矢宮とも書り」とある。
また、「三神相殿に坐す、一座は太神宮、祭日は7月27日、一座は八幡宮、祭日は8月15日、一座は諏訪大明神、祭日は11月初の寅日なり」。
さらに、「此中に太神宮と申が本社なりと云へり、この伊屋といへるが、もしくは伊牟移の訛れるにはあらざるか」としている。
明治41年(1908年)、射矢神社は現在地にあった金銀子神社(きぎすじんじゃ)に合祀され、市姫神社も合祀、現社号に改称された。昭和7年(1932年)4月、社殿が造営された。
金銀子神社は、飛鳥時代の朱鳥5年(690年)、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)を勧請したと伝えられ、当地の産土神として崇敬されていた。
市姫神社は、郷市という地名が、郷民が集って市を立てて諸物を売買したことにちなむとされ、その商売の神だったようだ。
現在までに、主祭神は国常立命。伊弉册尊・誉田別命・天津児屋根命・市姫大神・誉田別命・大日霊貴命・伊弉諾尊・建御名方命を合祀している。例祭は3月20日。
【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け、商売繁盛
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