古くからの霊山で若狭八景、多田ヶ岳の北、奈良期の創祀
[住所]福井県小浜市多田16-9
[電話]-
多田神社(ただじんじゃ)は、福井県小浜市多田にある神社。舞鶴若狭自動車道と国道27号線の丹後街道が交差する南の地。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 遠敷郡「多太神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
当社のすぐ南には多田寺がある。奈良時代、第46代孝謙天皇の勅命により創建と伝承され、本尊の木造薬師如来立像や木造十一面観音菩薩立像が国の重要文化財に指定されている。
木造十一面観音菩薩立像は孝謙天皇を模したと伝えられ、穏やかな微笑みを浮かべている。特に春秋の彼岸には「多田のお薬師さん」参拝で賑わいをみせる。
さらにその南を進めば、多田ヶ岳があり、若狭八景の一つ「多田暮雪」「多田晴雪」として知られ、役行者が修行をした霊山と伝わる。
当社伝によれば、奈良時代の天平神護2年(766年)の創祀。多田ヶ岳を御神体山としたと考えられている。往古は多田大明神、多太大明神とも称された。
御祭神は、大己貴命。一説には大田々根子命とも、大物主命とも。式内社には各国各地に「多太神社」が多い。当社もその一つだろう。現在までに応神天皇を配祀する。
本殿は覆屋の中にあり、その覆屋の左右に境内社が祀られている。左が若宮社・六所神社・山神社(山乃神社)、右が廣嶺社・愛宕社・大神宮(天照皇太神宮)。
境内には、幕末の文久3年(1863年)8月建立の出雲丹後の狛犬がある。当社の東には、若狭国一宮・二宮である若狭彦神社・若狭姫神社が鎮座している。
【ご利益】
リフレッシュ、病気平癒、一族・子孫繁栄
【関連記事】
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
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多田神社(ただじんじゃ)は、福井県小浜市多田にある神社。舞鶴若狭自動車道と国道27号線の丹後街道が交差する南の地。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 遠敷郡「多太神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
当社のすぐ南には多田寺がある。奈良時代、第46代孝謙天皇の勅命により創建と伝承され、本尊の木造薬師如来立像や木造十一面観音菩薩立像が国の重要文化財に指定されている。
木造十一面観音菩薩立像は孝謙天皇を模したと伝えられ、穏やかな微笑みを浮かべている。特に春秋の彼岸には「多田のお薬師さん」参拝で賑わいをみせる。
さらにその南を進めば、多田ヶ岳があり、若狭八景の一つ「多田暮雪」「多田晴雪」として知られ、役行者が修行をした霊山と伝わる。
当社伝によれば、奈良時代の天平神護2年(766年)の創祀。多田ヶ岳を御神体山としたと考えられている。往古は多田大明神、多太大明神とも称された。
御祭神は、大己貴命。一説には大田々根子命とも、大物主命とも。式内社には各国各地に「多太神社」が多い。当社もその一つだろう。現在までに応神天皇を配祀する。
本殿は覆屋の中にあり、その覆屋の左右に境内社が祀られている。左が若宮社・六所神社・山神社(山乃神社)、右が廣嶺社・愛宕社・大神宮(天照皇太神宮)。
境内には、幕末の文久3年(1863年)8月建立の出雲丹後の狛犬がある。当社の東には、若狭国一宮・二宮である若狭彦神社・若狭姫神社が鎮座している。
【ご利益】
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