「日向の嵐山」伝統の南方神楽、天然記念物のクスノキ
[住所]宮崎県西都市南方3246
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南方神社(みなみかたじんじゃ)は、宮崎県西都市南方にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

一ツ瀬川下流右岸島内に鎮座する。国道219号線の米良街道の南方交差点の近く。西都原古墳群の北東、2キロほど。

地内杉安から上流の一ツ瀬川を杉安峡といい、川の規模や山の高さ、深さが京都の嵐山に似ることから、「日向の嵐山」とよばれ、景勝地として知られる。

創立年代は不詳。古くは若宮大明神と呼ばれ、最古の棟札は鎌倉時代後期の弘安9年(1286年)9月のもの。

口碑によれば、領主の伊東氏が当社を厚く尊信して、三宅18社・穂北18社の第一社とし、供田を寄進した。

弘安4年(1281年)、蒙古襲来の際、未曾有の国難に際して、国中は上下ひとしくその退散を祈願していた。

その際、当社の神験が際立って顕著だったことにより、村人が再建したのが最古の棟札にある弘安9年のこと。

他の所蔵の棟札によれば、その後もたびたび造営・再興が行われ、安土桃山時代の文禄2年(1593年)12月には高橋九郎殿元種により再興された。

江戸時代中期の享保6年(1721年)3月、領主牧野氏により再興され、歴代領主や領民が深く崇敬した。

明治4年(1871年)、現社号に改称して村社に列した。もとは上穂北大字南方の良須山に鎮座し、南方穂北二村の産土神だった。

その祭祀は近郷に例を見ないほど賑やかだったと伝えられるが、氏地が一ツ瀬川を挟んでいるため、村人の参拝に不便で、また出水などで祭にも差しつかえがあった。

そこで明治7年(1874年)、氏子と合意の上、現在地に遷座した。明治40年(1907年)2月には神饌幣帛料供進社に指定された。

御祭神は、素戔嗚命手名槌命・足名槌命奇稲田姫命大己貴命大山祇命豊玉姫命。例祭は11月18日で、後述の南方神楽が奉納される。

神殿には古来より奉安された神面がある。これは神殿造営にあたり、白髪童顔の老翁がいずこからやって来て神面を刻む事、数日あまり。

神面は出来あがり、これを神殿に献じた。後、その老翁は消えた。人々はこれを伝えて、彼を手名槌命・足名槌命と呼び、また「キンナラ様」とも称した。

旧暦6月15日に祭事を行い、官人はこの面を戴き、舞を奉仕する。いわゆる南方神楽で、穂北神楽と同一系統のものとされる。

この時、振舞が烈しければその年暴風雨があると言い、また緩和であれば風雨順調にして五穀豊穣であると言い伝えられる。

境内には、みやざきの巨樹百選に選ばれたクスノキがある。樹高42メートル、根回り22メートル、幹周11.5メートル、樹齢1000年。

この楠は地上6メートルのところで二股に分かれ、その南支幹は東方に横枝を出し、北支幹は11メートルの高さでさらに二股に分かれ直上、枝葉を繁らせている。

永年、歴史の流れを見つめてきた樹勢旺盛なこの古木は都萬神社境内の大楠とともに、「上穂北のクス」として国の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
夫婦和合、厄災除け、地域安全、家内安全
南方神社 宮崎県西都市南方
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