清水西原古墳群、笠狭に大陵、往時は都萬神社祭礼と同時開催
清水神社 宮崎県西都市清水36
[住所]宮崎県西都市清水36
[電話]0983-43-4326

清水神社(きよみずじんじゃ)は、宮崎県西都市清水にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

一ツ瀬川の西岸、国道219号線も越え、県道24号線沿い。市消防本部の近く。西都原古墳群の南、約4キロほどの所に鎮座する。

地内各所に古墳が散在し、25基が清水西原古墳群として県の史跡に指定されている。いわゆる百塚原古墳群で、国宝「日向国西都原古墳出土金銅製馬具」出土の伝承がある。

古老の伝えによれば、火闌降命を主祭神とし、父神の瓊々杵尊と母神の木花咲耶姫命を合殿に奉祀する。

火闌降命が上古、清水字松本の地に住んだとして、今なおこの地に命の御手洗、または神籬の里と称する遺跡が現存する。

古名笠狭の原中に大陵があり、火闌降命の山陵と伝える。『古事記』に「笠紗之御前」、『日本書紀』に「笠狹之碕」とある、瓊々杵命の降臨地について、諸説ある。

降臨地は宮崎県、鹿児島県などいくつか候補があるが、「笠紗」「笠狹」の地名はすでに失われて久しく、特定できないという。

近代に鹿児島県で笠沙村・笠沙町が生まれたが、これは付会とされる。しかし、宮崎県のこの西都原古墳群近くには「笠紗之御前」伝承を伝える神社が複数ある。当社もその一つ。

社伝によれば、鎌倉時代の建久2年(1191年)の創建と伝わる。一方で、『宮崎県史蹟調査報告書』では、平安時代の天喜元年(1053年)としている。

もとは松本の地に鎮座し、石貫神社祠官だった横山家の古文書中、建久年間のものによれば、神領として9町4段30歩を有し、年間42度の祭典が行われていたという。

南北朝時代の永和2年(1376年)、清水に遷座し、清水村宗廟若宮大明神と尊称した。

室町時代の応仁22年(1488年)、日向伊東氏6代伊東祐堯の時代、神殿を再建し、供田を捧げ、妻第一の清水若宮大明神として崇敬された。

古来より伝える祭日は、旧9月初午日を大祭とし、また7月7日、都萬神社で斎行される木花咲耶姫命が天孫に入内する旧式は、当社でも同日に行ったという。

これを都萬神社の御同神祭といったという。これは火闌降命の母神を祀り、尊敬を表す意味があったという。

また、小祭には旧2月初午日、11月の午の日の2度あったる。

江戸時代初期の元和2年(1616年)9月17日、延岡藩主有馬直純が穂北の地を領した時、神殿を再建し、供田を捧げた。

有馬氏が転じた後、牧野氏の所領となったが、牧野真俱の代に供田は旧来通りの寄進とされ、さらに、徳川幕府の御料となっても旧来通り供田が寄進された。

明治4年(1871年)、村社に列し、明治40年(1907年)2月には神饌幣帛料供進社に指定された。

現在の例祭は11月20日。境内社として稲荷神社、白鬚神社がある。鳥居の前には樹高25メートル、胸高直径2メートルの大きなのクスノキがある。

【ご利益】
諸願成就
清水神社 宮崎県西都市清水
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