日本武尊ゆかりの手水池、古い歴史ある4月の御馬頭祭り
[住所]愛知県知多市日長森下4
[電話]0569-43-1921

日長神社(ひながじんじゃ)は、愛知県知多市日長森下にある神社。名鉄常滑線の日長駅すぐ近く。鳥居をくぐり比較的長い石段を登る。御朱印の有無は不明。

社伝によれば、第12代景行天皇の皇子日本武尊が東征の折、当地に来訪。里人に当地名と日の暮れる方向を尋ねた。

里人は「日は未だ高し」と答えたところ、尊は喜び、それでは当地を「日高」と呼ぶとよいといった。

後にこれが「日永」となり、現在の日長という地名と社名になって定着したものと考えられている。

創祀年代は不詳だが、現在も本殿の東に大きな岩があり、磐境だったと伝えられている。往古、榊の枝を立て、祭祀された跡だという。

江戸時代前期の元禄元年(1688年)に書かれた『日永大明神略縁起』によれば、戦国時代、当地に匹田氏、駒沢氏という武将が砦を築いていた。

そのため、兵火に遭い、神宝・古記録などが消滅したと記されており、それ以前の由緒などは不詳。

御祭神は、日長命・日本武尊。日長命は熱田神宮で祀られている宮簀姫命の兄だという。宮簀媛命の兄では有名なところでは建稲種命がいるが、同一人物か。

ただし、熱田神宮の境内社に、やはり当社と同名の神社があり、日長命を祀り、また今彦神社が別にあって、建稲種命を祀っている。

現在は倉稲魂命も併せて祀る。例祭は4月第2日曜日で御馬頭祭り。地元の4地区から42厄歳引き廻しによる飾り馬の奉納がある。

市指定無形民俗文化財で、豪華な馬具で飾った馬を引き連れた行列が、道中を練り歩いた後、当社前でお祓いを受ける。

もともと御馬頭(おまんと)は、「馬の塔」といわれ、尾張・三河地方で広く行われてきた祭礼である。

当社のものは、元禄期の『日永大明神略縁起』にも「五月五日御馬頭祭禮」と記され、相当古くから行われてきた神事である。

境内には手水池がある。日本武尊が里人に掘らせた池と伝えられている。どのような日照りが続いても、水の涸れたことのない不思議な池でもある。

水が澄んでいると平和、濁ると戦争になるとも言い伝えられている。また、境内社に北面四社と、東面五社がある。

北面四社は、薬祖社(少彦名命)、風宮社(級長戸邉命・級長津彦命)、神明社(天照大御神)、八幡社(応神天皇・比売大神(多岐津姫命市杵嶋姫命多紀理姫命)・神功皇后)。

東面五社は、山神社(大山祇命)、八剣社(誉田別尊)、恵比寿社、天満社(菅原道真公)、金刀比羅社(大国主命・崇徳天皇)。

なお、県内には岡崎市安城市に同名神社があり、いずれも三河国 碧海郡の式内論社であるが、当社との関わりは不明。

【ご利益】
地域安全、五穀豊穣、平穏安寧(公式HP
日長神社 愛知県知立市日長森下
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