日久良志の里・日奈加島に日向国の神を勧請した式内論社
日長神社 愛知県岡崎市中島町新町18
[住所]愛知県岡崎市中島町新町18
[電話]-

日長神社(ひながじんじゃ)は、愛知県岡崎市中島町新町18にある神社。広田川の西岸、県道292号線の中島橋西交差点の近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 碧海郡「日長神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、往古、当地は島嶼で、葦が生い茂り、一帯を芦嶋と称し、そこから転じて、日久良志の里と称するようになったという。

当地は日久良志の里の中でも、特に日奈加島と呼ばれた。第26代継体天皇の御代、当地開発のため、五穀豊穣と住民繁栄の守護神として祀られたのが当社の起源。

日向国笠狭御崎の神を勧請したという。主祭神は吾田鹿葦津姫尊天津日高子番能邇々藝尊。「日向国笠狭御崎の神」は宮崎県西都市妻の都萬神社のことか。

当所は日長の宮と称され、式内社「日長神社」は『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)10月、従五位下を授けられた。

『三河國内神明帳』には従四位下と記されている。式内社「日長神社」の論社は他に、安城市高木町に当社および式内同名神社があり、日名神明宮がある。

鎌倉時代前期の建保3年(1215年)、社殿が造営された。鎌倉時代末期の正中2年(1325年)、大日霊貴尊を合祀した。

当地住民はもとより、江戸時代になると、将軍家からの崇敬も高まり、10石の朱印が寄進された。

江戸時代前期の寛文3年(1663年)9月、社殿が造営された。江戸期には神明社・神明宮とも呼ばれた。

もとは明神とも呼ばれたが、明治初年(1868年)に村社に列し、戦後、現在は愛知県神社庁の十二級社である。境内地は626坪。例祭は10月11日。

現在までに相殿に澳津彦神澳津姫神猿田彦神(導神)を祀る。境内社は、秋葉社(火之迦具土神。火の神)、稲荷社(保食神。食物の神)、琴平社(金山彦神。金の神)。

なお、県内には先の安城市の他、知多市にも当社と同名の神社があるが、関連は不明。

【ご利益】
夫婦和合、開運招福、家内安全、厄災除け
日長神社 愛知県岡崎市中島町新町
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