江戸期は「日名大明神」式内・日長神社の論社、大晦日・初詣接待
[住所]愛知県岡崎市日名西町16-2
[電話]-
神明宮(しんめいぐう)は、愛知県岡崎市日名西町にある神社。日名神明宮とも。矢作川東岸。愛知環状鉄道線の北岡崎駅の西。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 碧海郡「日長神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。日名郷は矢作川沿岸に位置し、交通の便も良く、古くから開かれた土地で、伊勢神領地の関係により、神明宮を祀ったと考えられている。
その昔、矢作川はこの地の東方を流れ、本社は碧海郡と額田郡の郡境にあった。式内社「日長神社」は『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)10月、従五位下を授けられた。
『三河國内神明帳』には従四位下と記されている。
江戸時代中期の宝永6年(1709年)11月、三島清左衛門藤原政興より奉納された郷中の釈迦堂所蔵の鍔口(金鼓)の銘に、奉掛三河国額田郡日名大明神宝前とある。
これにより当社は、近世には「日長大明神」と称していたことが分かり、式内比定の大きな根拠となっている。現在の「日名」の地名も当宮に基づくか。
なお、式内社「日長神社」の論社は他に、岡崎市中島町と安城市高木町に式内同名神社がある。
明治5年(1872年)10月12日、村社に列し、明治10年(1877年)4月に無格社の八幡社と春日社を相殿として合祀した。
明治40年(1907年)10月26日、神饌幣帛料供進社に指定され、明治43年(1910年)1月30日、境内社の御鍬社・稲荷社・隠神明社・八面社・美女化社・蔵巡社を合祀した。
御祭神は主祭神が天照皇大神、相殿に応神天皇・天児屋根命・宇迦魂命を祀る。神殿・拝殿・雨覆・社務所・物置などがあり、例祭は10月第1土曜日。
秋季例大祭では、奉祝行事として、男女小学生による子供相撲大会・子供御輿による町内練り歩きが行われる。夜の部では、境内において、餅投げ・余興・ビンゴ大会がある。
大晦日は除夜12時に太鼓が打ち鳴らされ初詣の参拝が始まる。境内で「どんど焼き」が行われ、参拝者に「お神酒と暖かく・甘~いおしるこ」の振舞・接待が行われる。
2月初旬には久七法要が行われる。当時、日名村に久七所有の農地が多くあり、明治26年(1893年)没後、これらの農地が日名村に寄付された。
それら土地の一部が当宮所有となり、現在に至っている。町民はこれに感謝し、久七の命日である1月20日に近い随時日に毎年菩提を弔っている。久七の墓は唯念寺にある。
【ご利益】
開運招福、地域安全、家内安全、厄災除け(公式HP)

【関連記事】
・愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
神明宮(しんめいぐう)は、愛知県岡崎市日名西町にある神社。日名神明宮とも。矢作川東岸。愛知環状鉄道線の北岡崎駅の西。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 碧海郡「日長神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。日名郷は矢作川沿岸に位置し、交通の便も良く、古くから開かれた土地で、伊勢神領地の関係により、神明宮を祀ったと考えられている。
その昔、矢作川はこの地の東方を流れ、本社は碧海郡と額田郡の郡境にあった。式内社「日長神社」は『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)10月、従五位下を授けられた。
『三河國内神明帳』には従四位下と記されている。
江戸時代中期の宝永6年(1709年)11月、三島清左衛門藤原政興より奉納された郷中の釈迦堂所蔵の鍔口(金鼓)の銘に、奉掛三河国額田郡日名大明神宝前とある。
これにより当社は、近世には「日長大明神」と称していたことが分かり、式内比定の大きな根拠となっている。現在の「日名」の地名も当宮に基づくか。
なお、式内社「日長神社」の論社は他に、岡崎市中島町と安城市高木町に式内同名神社がある。
明治5年(1872年)10月12日、村社に列し、明治10年(1877年)4月に無格社の八幡社と春日社を相殿として合祀した。
明治40年(1907年)10月26日、神饌幣帛料供進社に指定され、明治43年(1910年)1月30日、境内社の御鍬社・稲荷社・隠神明社・八面社・美女化社・蔵巡社を合祀した。
御祭神は主祭神が天照皇大神、相殿に応神天皇・天児屋根命・宇迦魂命を祀る。神殿・拝殿・雨覆・社務所・物置などがあり、例祭は10月第1土曜日。
秋季例大祭では、奉祝行事として、男女小学生による子供相撲大会・子供御輿による町内練り歩きが行われる。夜の部では、境内において、餅投げ・余興・ビンゴ大会がある。
大晦日は除夜12時に太鼓が打ち鳴らされ初詣の参拝が始まる。境内で「どんど焼き」が行われ、参拝者に「お神酒と暖かく・甘~いおしるこ」の振舞・接待が行われる。
2月初旬には久七法要が行われる。当時、日名村に久七所有の農地が多くあり、明治26年(1893年)没後、これらの農地が日名村に寄付された。
それら土地の一部が当宮所有となり、現在に至っている。町民はこれに感謝し、久七の命日である1月20日に近い随時日に毎年菩提を弔っている。久七の墓は唯念寺にある。
【ご利益】
開運招福、地域安全、家内安全、厄災除け(公式HP)

【関連記事】
・愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧
コメント