近世には白山宮とも、野見宿禰の祖である天夷鳥命を祀る
[住所]愛知県豊田市榊野町見切53
[電話]-
野見神社(のみじんじゃ)は、愛知県豊田市榊野町見切にある神社。国道153号線から県道19号線を北上、県道357号線を西進してすぐ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 賀茂郡「野見神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。県道から社殿までは約100段の階段が続く。
創祀年代は不詳。戦国時代の弘治2年(1556年)、火災によって、ことごとく焼失した。その後、安土桃山時代の天正3年(1575年)に再建された。
この時の再建は、当時の名主である治郎右衛門、社守の六太夫によるもの。以降も順次再建されたという。
式内社「野見神社」は、『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)10月、「野見神」に従五位下を授けるとある。『参河國内神明帳』に「正五位 下野見天神」とある。
他の論社に、市内野見山町に当社および式内同名神社がある。近世には白山宮と呼ばれた当社だが、『参河國官社私考略』には、式内社は「野見村ニ在ス今称白山」とある。
白山社とも、能見山天王社とも呼ばれた。御祭神は、天夷鳥命。その別名である武夷鳥命とも。明治4年(1871年)の由緒書きでは「野見大神」とある。
社名からは、土師氏の祖である野見宿禰を連想させるが、天夷鳥命は野見宿禰の祖に当たる。野見宿禰の裔に菅原道真がいる。
ただ、野見山町には存在する土師氏との関係があるとされる土器製造の跡や伝承は、当地には見当たらない、という。
明治5年(1872年)、村社に列し、大正9年(1920年)10月には神饌幣帛料供進社に指定された。
大正11年(1922年)9月7日には例祭の日を旧暦8月18日から新暦9月18日に、次いで9月26日に変更した。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、産業振興、事業成功

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・愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧

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野見神社(のみじんじゃ)は、愛知県豊田市榊野町見切にある神社。国道153号線から県道19号線を北上、県道357号線を西進してすぐ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 賀茂郡「野見神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。県道から社殿までは約100段の階段が続く。
創祀年代は不詳。戦国時代の弘治2年(1556年)、火災によって、ことごとく焼失した。その後、安土桃山時代の天正3年(1575年)に再建された。
この時の再建は、当時の名主である治郎右衛門、社守の六太夫によるもの。以降も順次再建されたという。
式内社「野見神社」は、『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)10月、「野見神」に従五位下を授けるとある。『参河國内神明帳』に「正五位 下野見天神」とある。
他の論社に、市内野見山町に当社および式内同名神社がある。近世には白山宮と呼ばれた当社だが、『参河國官社私考略』には、式内社は「野見村ニ在ス今称白山」とある。
白山社とも、能見山天王社とも呼ばれた。御祭神は、天夷鳥命。その別名である武夷鳥命とも。明治4年(1871年)の由緒書きでは「野見大神」とある。
社名からは、土師氏の祖である野見宿禰を連想させるが、天夷鳥命は野見宿禰の祖に当たる。野見宿禰の裔に菅原道真がいる。
ただ、野見山町には存在する土師氏との関係があるとされる土器製造の跡や伝承は、当地には見当たらない、という。
明治5年(1872年)、村社に列し、大正9年(1920年)10月には神饌幣帛料供進社に指定された。
大正11年(1922年)9月7日には例祭の日を旧暦8月18日から新暦9月18日に、次いで9月26日に変更した。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、産業振興、事業成功

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