野神社とも、もとは野社明神・天神、野口雨情、コウヨウザン
[住所]愛知県豊田市野口町水別日面226
[電話]-
埜神社(のじんじゃ)は、愛知県豊田市野口町水別日面226にある神社。野神社とも。県道358号線と344号線に挟まれた国道153号線の北側。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 賀茂郡「野神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)に従五位下の神階を授けられたという。ただし、この際に神階を授けたのは野見神社(野見山町・榊野町)とする説もある。
社名について、資料や、境内入口の社号標には野神社とあるが、鳥居扁額には現社号。「の」とは、山裾の緩やかな傾斜地のことだという。
鎮座地の水別日面は「みずわかれひよも/みずわかれひおも」と読む。近世には、当社は野社明神、天神と呼ばれた。
江戸時代中期の宝永2年(1705年)、火災により焼失、この時の火災で、記録なども一切失い、それ以前のことは不詳。
御祭神は豊斟渟命。これについても、記録が無いので御祭神不詳とする説がある。一説には、野椎神や鹿屋野比売神とするものもある。
江戸時代後期の文化13年(1816年)神社帳には、御鏡三所とあったという。神宮寺は鳥居東側にある真宗大谷派増慶寺だった。
明治5年(1872年)、郷社に列した。例祭は10月10日。
境内社に、御鍬社(保食神)、八幡社(誉田別尊)、秋葉社(火具土命)、山神社(大山祇神)がある。境外社として、塞神社(来名戸神)がある。
野口町は童謡詩人の野口雨情の先祖ゆかりの地。境内にはゆかりの地であることを示す石柱が建立されている。
境内には樹齢100年以上の市指定の名木「コウヨウザン」がある。もともと暖かい地方、中国や台湾の原産だが、珍しい樹木として植えられたと考えられている。
【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全
【関連記事】
・愛知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛知県に鎮座している神社の一覧
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埜神社(のじんじゃ)は、愛知県豊田市野口町水別日面226にある神社。野神社とも。県道358号線と344号線に挟まれた国道153号線の北側。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 賀茂郡「野神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。『日本文徳天皇実録』仁寿元年(851年)に従五位下の神階を授けられたという。ただし、この際に神階を授けたのは野見神社(野見山町・榊野町)とする説もある。
社名について、資料や、境内入口の社号標には野神社とあるが、鳥居扁額には現社号。「の」とは、山裾の緩やかな傾斜地のことだという。
鎮座地の水別日面は「みずわかれひよも/みずわかれひおも」と読む。近世には、当社は野社明神、天神と呼ばれた。
江戸時代中期の宝永2年(1705年)、火災により焼失、この時の火災で、記録なども一切失い、それ以前のことは不詳。
御祭神は豊斟渟命。これについても、記録が無いので御祭神不詳とする説がある。一説には、野椎神や鹿屋野比売神とするものもある。
江戸時代後期の文化13年(1816年)神社帳には、御鏡三所とあったという。神宮寺は鳥居東側にある真宗大谷派増慶寺だった。
明治5年(1872年)、郷社に列した。例祭は10月10日。
境内社に、御鍬社(保食神)、八幡社(誉田別尊)、秋葉社(火具土命)、山神社(大山祇神)がある。境外社として、塞神社(来名戸神)がある。
野口町は童謡詩人の野口雨情の先祖ゆかりの地。境内にはゆかりの地であることを示す石柱が建立されている。
境内には樹齢100年以上の市指定の名木「コウヨウザン」がある。もともと暖かい地方、中国や台湾の原産だが、珍しい樹木として植えられたと考えられている。
【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全
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