崇神帝の御代、加茂氏の一族が祖神を奉斎した大島大明神
兵主神社 愛知県豊田市荒井町松島299-1
[住所]愛知県豊田市荒井町松島299-1
[電話]-

兵主神社(ひょうずじんじゃ)は、愛知県豊田市荒井町松島にある神社。矢作川西岸。籠川に分岐するあたり、国道153号線の飯田街道沿い。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 賀茂郡「兵主神社」に比定される式内社(小社)。兵主神社の一つ。近代社格では郷社。

社伝によれば、第10代崇神天皇の御代の創建だという。御祭神は大物主命。諸説あるようだが、須佐之男命・三穂津姫命も併せて祀る。

高橋荘荒井村は、縄文時代中期から人々が住み、拓けて行った地域で、このことは高橋遺跡・舩塚古墳などから推定されている。

舩塚古墳は、 矢作川と籠川との合流地点、縄文時代から平安時代にわたる複合遺跡で伊勢湾海浜地帯との交流を示す糟畑式土器が混在している。

おそらく加茂氏の一族が当地に住み、祖神を祀ったものと考えられている。大田田根子命の孫、 大賀茂都美命を始祖とする氏族。

三穂津姫命は、いわゆる宗像三女神の長姉で、この地に住む加茂氏の人々が、矢作川を使って交易することが多かったため、 航海安全の神を勧請した、とされる。

ただし、一般的に三穂津姫命は高御産巣日神の娘であり、宗像三女神で大己貴命の妻になった多紀理毘売命とは別の神とされる。

もとは荒井と梅坪の中間の位置、 通称大島にあったと伝えられている。現在の鳥居の扁額にも「大島大明神」とある。

籠川の流れが矢作川の注ぐ付近で二つに分かれ、島を作っており、その島に鎮座した。いつの頃か、現在地に遷座した。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)10月26日には神饌幣帛料供進社に指定された。

境内地は3600坪あまり、山林2町歩もあり、立派な社風を残している。戦前は梅坪地区も含まれ、氏子区域も広汎に渉っていた。

現在までに、大己貴命・天照大御神大山祇命豊受皇大神も併せて祀る。例祭は10月第1日曜日。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、厄災除け、交通安全
兵主神社 愛知県豊田市荒井町松島
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