所在不明の式内社、巨椋池周辺の地、室町期までは存在?
[住所]京都府京都市伏見区弾正町付近
[電話]-
大椋神社(おおくらじんじゃ/おおぐらじんじゃ)は、京都府京都市伏見区弾正町付近にあったと考えられる神社。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「大椋神社」に比定される式内社(小社)。
『延喜式』神名帳以外に記載のない神社であり、創祀や由緒などは一切不詳。跡地なども分からない。
久世郡の式内社である巨椋神社と同じく、干拓以前の巨椋池周辺の地に、『新撰姓氏録』左京神別に見える大椋置始連らが祖神を奉斎した、と考えられている。
越前国敦賀郡にも式内社「大椋神社」があるが、特段の関係性もみられない。
また、もとは伏見久郷の内の森村にあったが、応仁の乱(1467年-1477年)の兵火に遭った宝福寺は、末寺であった瑞応院に寺号を移した。
この瑞応院が当社の神宮寺だった、との由緒が残る。そうであれば、室町時代までは存在していたということになるだろうか。
【ご利益】
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『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「大椋神社」に比定される式内社(小社)。
『延喜式』神名帳以外に記載のない神社であり、創祀や由緒などは一切不詳。跡地なども分からない。
久世郡の式内社である巨椋神社と同じく、干拓以前の巨椋池周辺の地に、『新撰姓氏録』左京神別に見える大椋置始連らが祖神を奉斎した、と考えられている。
越前国敦賀郡にも式内社「大椋神社」があるが、特段の関係性もみられない。
また、もとは伏見久郷の内の森村にあったが、応仁の乱(1467年-1477年)の兵火に遭った宝福寺は、末寺であった瑞応院に寺号を移した。
この瑞応院が当社の神宮寺だった、との由緒が残る。そうであれば、室町時代までは存在していたということになるだろうか。
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