稲を加えた鳥、伏見稲荷にも関係した竜頭太の遠祖を祀る
[住所]京都府京都市伏見区下鳥羽城ノ越町6
[電話]-
飛鳥田神社(あすかだじんじゃ/あすかたじんじゃ)は、京都府京都市伏見区下鳥羽城ノ越町にある神社。下鳥羽飛鳥田神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「飛鳥田神社」に比定される式内社(小社)の論社。現在は城南宮の境外摂社である。
創祀年代や由緒は不詳。伝えによれば、当社は荷田竜頭の田に、祖先の霊が白い鳥となり稲の実を口に含んで飛来した。そこで祖先の霊を祀ったのが始まり。
式内社「飛鳥田神社」は、第36代孝徳天皇の御代、飛鳥時代の白雉4年(653年)、貴布禰・賀茂(上賀茂・下鴨)両神の神託で、横大路に宮を造り、別雷命を勧請した。
『日本紀略』によれば、第52代嵯峨天皇の御代、平安時代の弘仁7年(816年)、真幡寸神とともに官社に列した。式内社「飛鳥田神社」は「一名柿本社」。
当社ももとは安須加多神社と称していたようだが、御祭神は荷田竜頭之遠祖霊。竜頭太は、秦氏系の伊奈利神が鎮座する以前から稲荷山にいた山の神。
水を司る水神で雷神だったともされ、その意味では、式内社「飛鳥田神社」の由緒からは外れていないともいえる。
弘法大師空海が竜頭太から稲荷山を譲り受け、これを神として祀ったのが伏見稲荷大社の始まりともされる。
伏見稲荷大社に合祀されたもの、あるいはその摂社である田中社も式内社「飛鳥田神社」の論社とされ、符合する。
式内社「飛鳥田神社」の論社は他に、横大路柿ノ本町の当社および式内同名神社、横大路天王後町と東山区本町の田中神社がある。
また、美濃国各務郡にも同名の式内社がある。岐阜県各務原市の当社と同名神社に比定されている。創建は当社とほぼ同一で、各務原市の方は蘇我氏との関連が深い。
もとは稲荷山の北、現在の東福寺の近くに鎮座したらしい。鎌倉時代の延応元年(1239年)、東福寺の建立とともに現在地に遷座したともいう。例祭は10月第3日曜日で秋祭。
【ご利益】
五穀豊穣

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飛鳥田神社(あすかだじんじゃ/あすかたじんじゃ)は、京都府京都市伏見区下鳥羽城ノ越町にある神社。下鳥羽飛鳥田神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「飛鳥田神社」に比定される式内社(小社)の論社。現在は城南宮の境外摂社である。
創祀年代や由緒は不詳。伝えによれば、当社は荷田竜頭の田に、祖先の霊が白い鳥となり稲の実を口に含んで飛来した。そこで祖先の霊を祀ったのが始まり。
式内社「飛鳥田神社」は、第36代孝徳天皇の御代、飛鳥時代の白雉4年(653年)、貴布禰・賀茂(上賀茂・下鴨)両神の神託で、横大路に宮を造り、別雷命を勧請した。
『日本紀略』によれば、第52代嵯峨天皇の御代、平安時代の弘仁7年(816年)、真幡寸神とともに官社に列した。式内社「飛鳥田神社」は「一名柿本社」。
当社ももとは安須加多神社と称していたようだが、御祭神は荷田竜頭之遠祖霊。竜頭太は、秦氏系の伊奈利神が鎮座する以前から稲荷山にいた山の神。
水を司る水神で雷神だったともされ、その意味では、式内社「飛鳥田神社」の由緒からは外れていないともいえる。
弘法大師空海が竜頭太から稲荷山を譲り受け、これを神として祀ったのが伏見稲荷大社の始まりともされる。
伏見稲荷大社に合祀されたもの、あるいはその摂社である田中社も式内社「飛鳥田神社」の論社とされ、符合する。
式内社「飛鳥田神社」の論社は他に、横大路柿ノ本町の当社および式内同名神社、横大路天王後町と東山区本町の田中神社がある。
また、美濃国各務郡にも同名の式内社がある。岐阜県各務原市の当社と同名神社に比定されている。創建は当社とほぼ同一で、各務原市の方は蘇我氏との関連が深い。
もとは稲荷山の北、現在の東福寺の近くに鎮座したらしい。鎌倉時代の延応元年(1239年)、東福寺の建立とともに現在地に遷座したともいう。例祭は10月第3日曜日で秋祭。
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