土器製作の祖神、江戸期に赤の宮稲荷を勧請、明治に下鴨境外摂社
[住所]京都府京都市左京区高野上竹屋町36
[電話]075-701-1771
賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)は、京都府京都市左京区高野上竹屋町にある神社。高野川東岸、叡山電鉄本線の一乗寺駅の西。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「賀茂波尓神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。賀茂御祖神社(下鴨神社)の境外摂社である。
創祀年代は不詳。式内社名「波爾(はに)」は埴輪の「埴」のことで、一般には土や、土器を意味する。高野川はかつて埴川と呼ばれていた。
土器製作に従事する西埿部氏の氏神とする説がある。また、土師氏との関連も想定されている。
御祭神に関しても、西埿部氏祖である玉依彦命、土師氏祖とする野見宿禰などの説がある。他の論社に、賀茂別雷神社(上賀茂神社)境内の土師尾社がある。
『鳥邑縣纂書』によれば、「赤の宮は今は新田河原にあり、村の氏神なり、但波尓社は退転し、今の赤の宮は稲荷神なり、元禄の勧請なり」とある。
つまり、元禄年間(1688年-1703年)に赤ノ宮稲荷が勧請され、当社は長らく「赤ノ宮」「赤の宮」、あるいは赤の宮稲荷大明神と呼ばれてきた。
明治になり、村社に列し、村社波爾神社とも呼ばれたが、明治10年(1877年)、下鴨神社の第四摂社となった。明治15(1882年)、式内社に認定された。
大正10年(1921年)の改築に際して、「祭神 迦遇突智神 配祀 稲荷大神 賀茂大神宮」と記された御魂代が発見されたという。
現在までに御祭神は波爾安日子神・波爾安日女神。境内社に稲荷社がある。また、拝殿脇に「波爾井」と称する御神水がある。
御蔭神社で行われる御蔭祭(御生神事)において、当社で路次祭が行われ、舞楽「還城楽(げんじょうらく)」が奉納される。
【ご利益】
方除け、火防、厄災除け、病気平癒
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『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「賀茂波尓神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。賀茂御祖神社(下鴨神社)の境外摂社である。
創祀年代は不詳。式内社名「波爾(はに)」は埴輪の「埴」のことで、一般には土や、土器を意味する。高野川はかつて埴川と呼ばれていた。
土器製作に従事する西埿部氏の氏神とする説がある。また、土師氏との関連も想定されている。
御祭神に関しても、西埿部氏祖である玉依彦命、土師氏祖とする野見宿禰などの説がある。他の論社に、賀茂別雷神社(上賀茂神社)境内の土師尾社がある。
『鳥邑縣纂書』によれば、「赤の宮は今は新田河原にあり、村の氏神なり、但波尓社は退転し、今の赤の宮は稲荷神なり、元禄の勧請なり」とある。
つまり、元禄年間(1688年-1703年)に赤ノ宮稲荷が勧請され、当社は長らく「赤ノ宮」「赤の宮」、あるいは赤の宮稲荷大明神と呼ばれてきた。
明治になり、村社に列し、村社波爾神社とも呼ばれたが、明治10年(1877年)、下鴨神社の第四摂社となった。明治15(1882年)、式内社に認定された。
大正10年(1921年)の改築に際して、「祭神 迦遇突智神 配祀 稲荷大神 賀茂大神宮」と記された御魂代が発見されたという。
現在までに御祭神は波爾安日子神・波爾安日女神。境内社に稲荷社がある。また、拝殿脇に「波爾井」と称する御神水がある。
御蔭神社で行われる御蔭祭(御生神事)において、当社で路次祭が行われ、舞楽「還城楽(げんじょうらく)」が奉納される。
【ご利益】
方除け、火防、厄災除け、病気平癒
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