鴨大神の降臨地、5月12日に優雅な賀茂御蔭祭、下鴨神社の境外摂社
[住所]京都府京都市左京区上高野東山207
[電話]075-781-0010 - 賀茂御祖神社

御蔭神社(みかげじんじゃ)は、京都府京都市左京区上高野東山にある神社。高野川南岸、叡山電鉄本線の八瀬比叡山口駅の南。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「出雲高野神社」(小社)、「小野神社二座」(小社、鍬靫)に比定される式内社の論社。賀茂御祖神社(下鴨神社)の境外摂社である。

創祀年代は不詳。太古、鴨の大神が降臨した所と伝えられており、御生山(みあれやま)と呼ばれており、東山三十六峰第二の山である。

また、太陽のただ射す所、すなわち、御蔭山とも呼ばれ、当社名はこれにちなむ。御祭神は、本宮である賀茂御祖神社の御祭神の玉依媛命、賀茂建角身命の2柱の荒魂。

毎年5月12日、賀茂祭(葵祭)に先だって、御蔭祭(御生神事)が当社で行われるが、その起源は第2代綏靖天皇の御代ともされる。

当社は第40代天武天皇6年(677年)、山背國司が造営したと伝えられる賀茂神宮に比定される場合があり、古代から山背北部豪族の祭祀の中心地で、数々の遺跡が存在する。

現在の社殿は江戸時代前期の元禄6年(1693年)、本宮の式年遷宮の際に造替されたもの。西殿(賀茂建角身命)と東殿(玉依媛命)がある。

もとは現在の本殿北東の麓に鎮座した。江戸時代中期の宝暦8年(1758年)、台風による高野川の氾濫により、社殿が一部流出した。

また、江戸時代後期の天保元年(1830年)、文政の大地震によっても社殿が流出し、天保5年(1835年)、現在地に遷座した。

昭和38年(1963年)、台風により斎館が倒壊、昭和39年(1964年)の式年遷宮の際に社殿が修理された。また、平成15年(2003年)の式年遷宮の際にも、本殿が解体修理された。

例祭は5月12日で、先述の賀茂御蔭祭。下鴨神社から錦蓋をかざした神馬を中心に、騎馬の神宮・楯・鉾・弓などの神具を捧げた多数の供奉の人々の行列が当社を参詣する。

そして、当社御神霊を神馬に迎え、本社である下鴨神社に還幸する。伝説では綏靖天皇の御代、記録上でも室町時代から続く神事。

途中、総社や賀茂波爾神社静原神社における路次祭、御本宮契の神事などが行われる。その優雅な儀式は葵祭の本祭に匹敵するといわれる。

なお、式内社「出雲高野神社」の論社は他に、崇道神社の境内社、上御霊神社、上京区上御霊前町の猿田彦神社がある。

式内社「小野神社二座」の論社は他に、崇道神社の別の境内社と、賀茂別雷神社(上賀茂神社)境内末社の土師尾社がある。

【ご利益】
諸願成就
御蔭神社 京都府京都市左京区上高野東山
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