下鴨神社境内摂社、「何でも柊」お茶の神、中世期の鴨社本殿
出雲井於神社 京都府京都市左京区下鴨泉川町
[住所]京都府京都市左京区下鴨泉川町
[電話]075-781-0010 - 賀茂御祖神社

出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)は、京都府京都市左京区下鴨泉川町、賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「出雲井於神社」に比定される式内社(大社、月次・相嘗・新嘗)の論社。下鴨神社の境内摂社。

創祀年代は不詳。『日本書紀』神武天皇2年の条に、葛野主殿県主部とある氏族が祖神として建速須佐乃男命を奉斎した社である。

この県主部は古代山城北部に蟠踞し、鴨氏と同じ祖先を持ち、『正倉院文書』では「神亀3年(726年)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳」と記載されている。

大宝令(700年)以降、山代国葛野郡は四つに分割され、鴨川の西方より東山までの地域が愛宕郡となり、鴨川の東岸が蓼倉郷、西岸が出雲郷になった。

「井於」とは、川のほとりのことで、出雲郷の川のほとりに坐す社の意である。

平安時代前期の承和2年(844年)2月20日、太政官符によって制定された鴨社領出雲郷の総社だったことから、氏神社、地主社としての信仰が篤かった。

平安時代末期の元永2年(1119年)2月1日、『長秋記』『中右記』『百練抄』などに当社大火の記録が残されている。

通称は比良木神社(ひらきじんじゃ)。当社の周囲にどのような木を植えても、柊葉のようにギザギザになることから、とも。「何でも柊」で、京の七不思議の一つ。

また、本宮の御陰祭(御生神事)が行われていた犬柴社と、愛宕郡栗田郷藪里総社の柊社がいずれも同神であったところからこの社に合祀されたので、その名がある、とも。

古くは一乗寺村の西、比良木ノ森(柊森)にあったとも。出雲氏の衰微によって、いつの頃か現在の、下鴨神社楼門内西傍の地に移ったと伝えられる。

志賀剛『式内社の研究』によれば、相国寺東門の東、毘沙門町・毘沙門横町付近を当社の旧鎮座地と推定している。

現在の社殿は江戸時代前期の寛永6年(1629年)の式年遷宮の時、先の天正9年(1581年)式年遷宮に造営された本宮本殿が移築されたもので、中世の鴨社社殿として貴重。

末社に、和歌の神として、北社の岩本社(住吉神)、南社の橋本社(玉津島神)があるが、それらの社殿含め、いずれも国の重要文化財に指定されている。

なお、岩本社の旧社地は鴨社鎮祭場、現在の一条戻橋に、橋本社の旧社地は鴨社領栗栖野郷松ヶ崎里、現在の松ヶ崎海道町に鎮座し、総社椙尾社として祀られていた。

例祭は10月14日。祭事にお茶を薬草として供えることから、「お茶の神様」としても信仰されている。

なお、式内社「出雲井於神社」の論社は他に、同じく下鴨神社の境内社である井上社(御手洗社)、上京区の上御霊神社、中京区の下御霊神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、和歌上達、お茶の神
出雲井於神社 京都府京都市左京区下鴨泉川町NO2
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