伊勢外宮の元宮伝承、中近世には領主崇敬の篠箸大明神
咋岡神社 京都府京丹後市峰山町赤坂529
[住所]京都府京丹後市峰山町赤坂529
[電話]-

咋岡神社(くいおかじんじゃ)は、京都府京丹後市峰山町赤坂にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「咋岡神社(丹後国・丹波郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。久次咋石嶽の頂上、あるいは麓に鎮座したと伝わる。咋石嶽は現在、久次岳と呼ばれている。

また、真名井嶽とも呼ばれ、宇気持神(保食神)の天降地であり、山頂に2間四方の岩を神として祀っていたと言われている。

真名井嶽はまた、真名井大明神の故地で、第21代雄略天皇22年7月7日、勅使大佐々に命じて、豊受大神の神霊をこの地から伊勢の度会に移したとも。

つまり、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮であり、当社はその元宮との伝承が残る。いわゆる元伊勢与佐之小見比治之魚井原」のこと。

一般的に当社はその候補とは考えられてはいない。ただし、その際、その御分霊を留めて、当社の旧地に移した、ともされる。

『室尾山観音寺神名帳』の「丹波郡二十九前」に、「従三位 咋岡明神」と記載されている。

室町時代の応仁年間(1467年-1469年)、現在の峯山にあたる吉原城主である一色義遠の家臣飯田越前が、久次の咋石嶽から勧請して、吉原城鎮護の神とした。

その際は城の大手口の馬場前に祀り、一色氏に次いで丹後を領有した細川氏も産土神として崇敬したと伝わる。

その後の京極氏の入国により、当社と付近の家は、江戸時代初期の元和8年(1622年)10月、赤坂村に移されたが、領主、藩士の氏神として篤く崇敬を続けたという。

藩から毎年御神料米12俵が下賜され、水口祭と呼ばれる祭礼などには藩主代として家老代参があったと伝えている。

近世を通じて、篠箸大明神などとも呼ばれたが、明治元年(1868年)、現社号に復し、明治6年(1873年)には村社に列した。

大正4年(1915年)、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和2年(1927年)、震災により神殿が倒壊したが、昭和7年(1932年)には再建された。

御祭神は、保食神とも、豊受大神ともされる。幕末には草野姫命を祀っていたともされる。例祭は10月9日。

境内社に、若宮社、石亀社、佐田神社(猿田彦命)、若住神社(わかずみじんじゃ。天熊人神)がある。天熊人神は『日本書紀』に見える、やはり食物神。

なお、山城国綴喜郡にも同名の式内社があり、現在は京田辺市の飯岡草内に論社がある。草内は限りなく参考社だと考えられている。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け
咋岡神社 京都府京丹後市峰山町赤坂
【関連記事】
京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧