鎌倉期の創建も戦国期の古文書で式内認定、飯岡の支流とも
咋岡神社 京都府京田辺市草内宮ノ後5
[住所]京都府京田辺市草内宮ノ後5
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咋岡神社(くいおかじんじゃ)は、京都府京田辺市草内宮ノ後にある神社。近鉄京都線の興戸駅の東、草内小学校の近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「咋岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。

創祀年代は鎌倉時代の建治年間(1275年-1278年)。『延喜式』後のことで、式内社足りえない。

ただし、戦国時代の永正6年(1509年)『神名帳頭注』には、「(式内)咋岡神社 草内村に在り」とあり、当社を式内比定している。

室町時代の応仁年間(1467年-1469年)、永正年間(1504年-1521年)に戦火により焼失したが、戦国時代の天文3年(1534年)、再建された。

『山城綴喜郡誌』によれば、明治26年(1893)10月、本社旧記を発見し、飯岡の咋岡神社支流を確めたという。

古くは古くは天神社と称し、菅原道真を祀ったが、飯岡の咋岡神社と同様、主神を倉稲魂神とし、配神を菅原道真とした。

境内正面に横長の、入母屋造、瓦葺の拝殿が、その奥に唐破風付向拝を有する春日造、檜皮葺の本殿が鎮座する。

本殿は蟇股・木鼻などに桃山風の華麗な彫刻が施されたもので、江戸時代中期頃の建立と思われる。府の登録文化財に指定されている。

境内末社に、社殿左手には末社合祀殿(祈雨社・八幡宮・天照皇太宮・春日社)が社殿右手には江戸時代初期に建てられたと思われる若宮八幡宮がある。

境内裏手にある奥深い林は、文明17年(1485年)の山城国一揆の舞台となった草路城跡で、土塁や堀も残っており、府の文化財環境保全地区に指定されている。

なお、式内社「咋岡神社」の論社は他に、先の飯岡の当社および式内同名神社。また、丹後国丹波郡にも食物神を祀る同名の式内社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、学業・受験合格、病気平癒
咋岡神社 京都府京田辺市草内宮ノ後
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