木津川西岸、『万葉集』にある咋山、近世には天満宮、式内社
[住所]京都府京田辺市飯岡東原62
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咋岡神社(くいおかじんじゃ )は、京都府京田辺市飯岡東原にある神社。JRと近鉄の三山木駅の東、木津川西岸。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「咋岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もとは現在地から北1.2キロほど、飯岡の北端で木津川と普賢寺川の合流点、草内宮ノ森に鎮座したという。
付近には、現在地の西約200メートルに桜井古墳が、約500メートルには飯岡車塚古墳が残り、木津川には飯岡の渡し跡が、南西方には山本駅跡がある。
こうした、古代の交通の要衝に、食物神の宇賀乃御魂神が奉斎されたのが当社の起源だと考えられている。
『山城綴喜郡誌』によれば、室町時代の永享年間(1429年-1441年、洪水のため、被害があり、各部落も分離した。
稲倉魂神の尊像を奉迎し、現在地に勧請、奉祀したという。また、遷座の時期は江戸時代中期の元禄8年(1695年)ともされる。
どちらにしろ、この際の遷座に際して、菅原道真が合祀された。江戸時代中期の享保4年(1719年)の手水鉢に「天神宮」とある。
また、享保5年(1720年)建立の一の鳥居にも「天満宮」の刻印があるという。いつしか、道真が主となり、社号も天満宮が定着した。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治8年(1875年)、あるいは明治10年(1877)に式内社に認定され、現社名に復した。
例祭は10月15日。拝殿内に軒下に、額の中に穀物を計量する舛を飾った絵馬が数多く奉納されている。
すべて88歳の米寿の人からの奉納で、周辺でも見られるため、当地の風習と考えられるが、米寿の「米」と社名の咋岡の「咋」が食物を指すことによるとも考えられている。
境内正面に横長の、間口5間、奥行2間、瓦葺きの割拝殿があり、その奥に一間社流造、方1間、銅板葺の本殿が東面して鎮座する。
当地への遷座後、明治に至るまで数度の改修が行われたとみられ、慶長6年(1601年)・元和3年(1617年)・寛永13年(1636年)などの棟札が残されている。
境内末社として、本殿の左右に、皇太神宮・八幡宮・厳島神社がある。境内の巨木であるスダジイは、「京都の自然200選」に指定されている。
境内には、下記の万葉歌碑がある。泉河辺作歌と題し、泉河は今の木津川、「春草を馬」は咋山を導く序詞で、古来当社背後の丘陵は咋山と称し、雁は手紙を運ぶ鳥だった。
【ご利益】
五穀豊穣、学業・受験合格、病気平癒

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咋岡神社(くいおかじんじゃ )は、京都府京田辺市飯岡東原にある神社。JRと近鉄の三山木駅の東、木津川西岸。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「咋岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もとは現在地から北1.2キロほど、飯岡の北端で木津川と普賢寺川の合流点、草内宮ノ森に鎮座したという。
付近には、現在地の西約200メートルに桜井古墳が、約500メートルには飯岡車塚古墳が残り、木津川には飯岡の渡し跡が、南西方には山本駅跡がある。
こうした、古代の交通の要衝に、食物神の宇賀乃御魂神が奉斎されたのが当社の起源だと考えられている。
『山城綴喜郡誌』によれば、室町時代の永享年間(1429年-1441年、洪水のため、被害があり、各部落も分離した。
稲倉魂神の尊像を奉迎し、現在地に勧請、奉祀したという。また、遷座の時期は江戸時代中期の元禄8年(1695年)ともされる。
どちらにしろ、この際の遷座に際して、菅原道真が合祀された。江戸時代中期の享保4年(1719年)の手水鉢に「天神宮」とある。
また、享保5年(1720年)建立の一の鳥居にも「天満宮」の刻印があるという。いつしか、道真が主となり、社号も天満宮が定着した。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治8年(1875年)、あるいは明治10年(1877)に式内社に認定され、現社名に復した。
例祭は10月15日。拝殿内に軒下に、額の中に穀物を計量する舛を飾った絵馬が数多く奉納されている。
すべて88歳の米寿の人からの奉納で、周辺でも見られるため、当地の風習と考えられるが、米寿の「米」と社名の咋岡の「咋」が食物を指すことによるとも考えられている。
境内正面に横長の、間口5間、奥行2間、瓦葺きの割拝殿があり、その奥に一間社流造、方1間、銅板葺の本殿が東面して鎮座する。
当地への遷座後、明治に至るまで数度の改修が行われたとみられ、慶長6年(1601年)・元和3年(1617年)・寛永13年(1636年)などの棟札が残されている。
境内末社として、本殿の左右に、皇太神宮・八幡宮・厳島神社がある。境内の巨木であるスダジイは、「京都の自然200選」に指定されている。
境内には、下記の万葉歌碑がある。泉河辺作歌と題し、泉河は今の木津川、「春草を馬」は咋山を導く序詞で、古来当社背後の丘陵は咋山と称し、雁は手紙を運ぶ鳥だった。
巻9 1708なお、式内社「咋岡神社」の論社は他に、市内草内に当社および式内同名神社がある。また、丹後国丹波郡にも食物神を祀る同名の式内社がある。
春草を 馬咋山ゆ 越え来なる 雁の使は 宿り過ぐなり
【ご利益】
五穀豊穣、学業・受験合格、病気平癒

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