息長氏の地盤に祖神の式内、牛頭天王を京に移した八坂の本宮とも
[住所]京都府京田辺市天王高ケ峯25
[電話]0774-65-0315
朱智神社(しゅちじんじゃ)は、京都府京田辺市天王高ケ峯にある神社。参拝すれば、「牛頭天王」などとある御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「朱智神社」に比定される式内社(小社)、「天神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
近鉄京都線の新田辺駅の南西約6キロ。山城国(京都府)・河内国(大阪府)・大和国(奈良県)が府県境を接する標高約300メートルの高ケ峰山中に鎮座する。
創祀は第16代仁徳天皇69年。もとは現在地より西方の西峰山頂に創建され、朱智天王と号した。この朱智天王が御祭神の迦爾米雷王。
迦爾米雷王は、第9代開化天皇の曾孫で、神功皇后の祖父に当たり、第11代垂仁天皇の御代にこの地を治め、その子孫は朱智姓を名乗った。
当地一帯は息長氏の地域で、第26代継体天皇が筒城宮を営んだのも、当社を中心とした息長氏を背景としたもの、という説がある。
また、やはり息長氏と関連深いと思われる往時の息長山普賢教法寺の鎮守と考えられる地祇神社もある。なお当社は、第28代宣化天皇元年(535年)、現在地に遷座した。
奈良時代末期の延暦12年(793年)、大宝天王と呼ばれる須佐之男命が、朱智天王と同殿に合祀された。大宝は大宝年間(701年-704年)のことか。
室町時代の永享13年(1441年)『興福寺官務牒疏』によれば、およそ下記の記述があり、当社に藤原時代の牛頭天王像があって、早くからの牛頭天王。
榊遷し、あるいは榊遷は、当社の氏子が奉じた榊を天王区の若者が八坂神社まで届ける行事。現在では行われていないが、その榊を受けて山鉾巡行を始めたと伝えられる。
いわゆる現在の祇園祭である。当社はつまり、京都八坂神社の本宮であるとの説がある。江戸時代初期の慶長17年(1612年)、現在の本殿が建てられた。現在の本殿である。
明治維新に至り、神祇官に上請して、天王社から現社名に復し、明治6年(1873年)6月、郷社に列した。
現在までに、主祭神は迦爾米雷王で、相殿に建速須佐之男命と天照国照彦火明命を祀る。例祭は10月18日で秋祭り。7月14日に当社でも祇園祭が行われる。
慶長17年現本殿は現在、府の登録文化財になっており、建物は一間社流造、屋根は桧皮葺で、向拝の木鼻や、蟇股には、桃山様式の華麗な彫刻が多く見られる。
平成16年(2004年)11月から1年6ヶ月を費やして、屋根の葺き替えと彩色復元の修復事業が完成した。
社殿左には、住吉神社・大高神社・三社神社・朝日神社・大土神社・白山神社・稲生神社の七末社がある。
右には、天津神社・皇大神宮・春日神社・鎮火神社・祈雨神社・金神社の六末社がある。
なお、式内社「天神社」の論社は他に、市内松井の式内同名神社、田辺棚倉の棚倉孫神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災
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朱智神社(しゅちじんじゃ)は、京都府京田辺市天王高ケ峯にある神社。参拝すれば、「牛頭天王」などとある御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 綴喜郡「朱智神社」に比定される式内社(小社)、「天神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
近鉄京都線の新田辺駅の南西約6キロ。山城国(京都府)・河内国(大阪府)・大和国(奈良県)が府県境を接する標高約300メートルの高ケ峰山中に鎮座する。
創祀は第16代仁徳天皇69年。もとは現在地より西方の西峰山頂に創建され、朱智天王と号した。この朱智天王が御祭神の迦爾米雷王。
迦爾米雷王は、第9代開化天皇の曾孫で、神功皇后の祖父に当たり、第11代垂仁天皇の御代にこの地を治め、その子孫は朱智姓を名乗った。
当地一帯は息長氏の地域で、第26代継体天皇が筒城宮を営んだのも、当社を中心とした息長氏を背景としたもの、という説がある。
また、やはり息長氏と関連深いと思われる往時の息長山普賢教法寺の鎮守と考えられる地祇神社もある。なお当社は、第28代宣化天皇元年(535年)、現在地に遷座した。
奈良時代末期の延暦12年(793年)、大宝天王と呼ばれる須佐之男命が、朱智天王と同殿に合祀された。大宝は大宝年間(701年-704年)のことか。
室町時代の永享13年(1441年)『興福寺官務牒疏』によれば、およそ下記の記述があり、当社に藤原時代の牛頭天王像があって、早くからの牛頭天王。
朱智天王神 普賢寺郷西之山上に在り、山代大筒城王の児・迦爾米雷王を祭る、相殿素盞鳴命、大宝天王(牛頭天王)とも号すその後、第56代清和天皇(在位:858年-876年)の御代、大宝天王(牛頭天王)を現在の京都八坂神社に遷し、毎年、榊遷しの行事を行った。
榊遷し、あるいは榊遷は、当社の氏子が奉じた榊を天王区の若者が八坂神社まで届ける行事。現在では行われていないが、その榊を受けて山鉾巡行を始めたと伝えられる。
いわゆる現在の祇園祭である。当社はつまり、京都八坂神社の本宮であるとの説がある。江戸時代初期の慶長17年(1612年)、現在の本殿が建てられた。現在の本殿である。
明治維新に至り、神祇官に上請して、天王社から現社名に復し、明治6年(1873年)6月、郷社に列した。
現在までに、主祭神は迦爾米雷王で、相殿に建速須佐之男命と天照国照彦火明命を祀る。例祭は10月18日で秋祭り。7月14日に当社でも祇園祭が行われる。
慶長17年現本殿は現在、府の登録文化財になっており、建物は一間社流造、屋根は桧皮葺で、向拝の木鼻や、蟇股には、桃山様式の華麗な彫刻が多く見られる。
平成16年(2004年)11月から1年6ヶ月を費やして、屋根の葺き替えと彩色復元の修復事業が完成した。
社殿左には、住吉神社・大高神社・三社神社・朝日神社・大土神社・白山神社・稲生神社の七末社がある。
右には、天津神社・皇大神宮・春日神社・鎮火神社・祈雨神社・金神社の六末社がある。
なお、式内社「天神社」の論社は他に、市内松井の式内同名神社、田辺棚倉の棚倉孫神社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災
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