風土記記載社、国つ神から天つ神へ、近世は梵天王社、10月秋季大祭
[住所]京都府宇治市伊勢田町若林13
[電話]-
伊勢田神社(いせだじんじゃ)は、京都府宇治市伊勢田町若林にある神社。近鉄京都線の伊勢田駅の北、線路の西。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「伊勢田神社三座」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『山城国風土記』逸文に「伊勢田の社(祇っ社-クニツヤシロ)。名は大歳御祖命(オオトシミオヤ)の御子、八柱木(ヤハシラキ)」とある。
『宇治市史』によれば、八柱木は、「柱木つまり神の依ります神柱を神格化したもので、穀霊の信仰の古いたたずまいをしのばせる」という。
また、明治時代の『久世郡村誌』によれば、社伝として、大宝3年(703年)に「初めて祭典を挙ぐ、当時圭田七十二束云々」とあるという。
『日本三代実録』によれば、平安時代前期の貞観元年(859年)正月27日、正六位上だった伊勢田神に従五位下の神階が授けられた。
『山城国風土記』ですでに社名として「伊勢田」が見え、伊勢の神宮(伊勢神宮)との関係の深さを物語る。
諸説あるが、伊勢神宮の料田が設けられた地だったとの指摘がある。現在の御祭神は、天照皇大神・手力男大神・萬幡豊秋津姫大神になっている。
式内三座には符合するが、これら御祭神は天つ神の代表格であり、『山城国風土記』の「祇っ社」、つまり国つ神とは性格が異なっている。
当初の穀霊信仰(国つ神の社)から伊勢信仰(天つ神の社)に代わったわけだが、この御祭神の交代がどのような理由で、いつ行われたのかは不詳。
江戸時代中期の『山州名勝志』には「梵天王社」とあり、梵天王(ボンテンオウ・梵天とも)を祀る社とされていたという。
明治6年(1873年)8月、村社に列し、同年あるいは明治10年(1877年)6月には式内社に認定された。現社名への復称も明治のことだと考えられる。
例祭は10月1日で秋季大祭。10日間ほどかけて、期間中には神輿渡御や出店もあり、夜まで賑わう。
御神木に招霊木(おがたまのき)がある。モクレン科のオガタマノキ。昔はこの木で神を招き、供えた。
昭和62年10月、総代が九州方面を参詣した際、宮崎県西臼杵郡高千穂町の岩戸神社より譲り受けたものを植樹したもの。
境内末社に、稲荷社(稲倉魂神)、春日社(武甕槌神・経津主神・天児屋根神・比売神)、作田社(大歳神)、住吉社(住吉大神)があり、神籬が祀られている。
作田社は社伝によれば、もとは当社の西約500メートルの伊勢田町井尻に鎮座していたが、幕末の水害により、当社境内に遷されたという。独立した神社のようなたたずまい。
住吉社は、古く巨椋池の守護神・水神として伊勢田町南西部に鎮座したが、周囲の市街化、環境悪化のため、平成3年(1991年)7月、当社境内に遺跡として移築したという。
当社南には若宮八幡神社がある。もとは当社西北西約1.3キロほどの安田町の氏神だったが、維持ができなくなったため、当社が管理するようになったという。
【ご利益】
五穀豊穣、開運招福、地域安全
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伊勢田神社(いせだじんじゃ)は、京都府宇治市伊勢田町若林にある神社。近鉄京都線の伊勢田駅の北、線路の西。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「伊勢田神社三座」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『山城国風土記』逸文に「伊勢田の社(祇っ社-クニツヤシロ)。名は大歳御祖命(オオトシミオヤ)の御子、八柱木(ヤハシラキ)」とある。
『宇治市史』によれば、八柱木は、「柱木つまり神の依ります神柱を神格化したもので、穀霊の信仰の古いたたずまいをしのばせる」という。
また、明治時代の『久世郡村誌』によれば、社伝として、大宝3年(703年)に「初めて祭典を挙ぐ、当時圭田七十二束云々」とあるという。
『日本三代実録』によれば、平安時代前期の貞観元年(859年)正月27日、正六位上だった伊勢田神に従五位下の神階が授けられた。
『山城国風土記』ですでに社名として「伊勢田」が見え、伊勢の神宮(伊勢神宮)との関係の深さを物語る。
諸説あるが、伊勢神宮の料田が設けられた地だったとの指摘がある。現在の御祭神は、天照皇大神・手力男大神・萬幡豊秋津姫大神になっている。
式内三座には符合するが、これら御祭神は天つ神の代表格であり、『山城国風土記』の「祇っ社」、つまり国つ神とは性格が異なっている。
当初の穀霊信仰(国つ神の社)から伊勢信仰(天つ神の社)に代わったわけだが、この御祭神の交代がどのような理由で、いつ行われたのかは不詳。
江戸時代中期の『山州名勝志』には「梵天王社」とあり、梵天王(ボンテンオウ・梵天とも)を祀る社とされていたという。
明治6年(1873年)8月、村社に列し、同年あるいは明治10年(1877年)6月には式内社に認定された。現社名への復称も明治のことだと考えられる。
例祭は10月1日で秋季大祭。10日間ほどかけて、期間中には神輿渡御や出店もあり、夜まで賑わう。
御神木に招霊木(おがたまのき)がある。モクレン科のオガタマノキ。昔はこの木で神を招き、供えた。
昭和62年10月、総代が九州方面を参詣した際、宮崎県西臼杵郡高千穂町の岩戸神社より譲り受けたものを植樹したもの。
境内末社に、稲荷社(稲倉魂神)、春日社(武甕槌神・経津主神・天児屋根神・比売神)、作田社(大歳神)、住吉社(住吉大神)があり、神籬が祀られている。
作田社は社伝によれば、もとは当社の西約500メートルの伊勢田町井尻に鎮座していたが、幕末の水害により、当社境内に遷されたという。独立した神社のようなたたずまい。
住吉社は、古く巨椋池の守護神・水神として伊勢田町南西部に鎮座したが、周囲の市街化、環境悪化のため、平成3年(1991年)7月、当社境内に遺跡として移築したという。
当社南には若宮八幡神社がある。もとは当社西北西約1.3キロほどの安田町の氏神だったが、維持ができなくなったため、当社が管理するようになったという。
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