紫式部ときめきの歌の地、賀茂別雷神社の最高女性、第一摂社
[住所]京都府京都市北区上賀茂本山339
[電話]075-781-0011 - 賀茂別雷神社
片山御子神社(かたやまのみこじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂本山、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境内社。片山社、片岡社とも。御朱印の有無は不明。
賀茂別雷神社の楼門近くに鎮座する。当社のすぐ南には須波神社がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「片山御子神社」に比定される式内社(大社、月次・相嘗・新嘗)。現在は上賀茂神社の境内摂社である。
創祀年代は不詳。『日本文徳実録』斎衛3年(856年)条に「山城国片山神」として記載され、「官社に列し、兼ねて相嘗祀に預かる」とある。
貞観元年(859年)には、出雲井於神社・鴨川合神などとともに従五位に叙せられ、その後も昇階し、寛仁元年(1017年)には正二位まで進んだ。
『新古今和歌集』には紫式部の下記の歌が掲載されている。上賀茂神社に参詣した際、当社地付近の丘を見て読んだものと考えられている。
この歌により、現在当社は、縁結びの社としても注目されている。当社の絵馬は葵の葉を模したものだが、ハート形に見える。
当社の御祭神は玉依比売命。ただし、異説も多く、当社神は上賀茂神社の地主神と考えて、大己貴命とするもの、その御子だから事代主命とするものなど。
ともかく、玉依比売命は賀茂県主族の祭祀の権を握っていた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得させた神で、常に別雷神の側に侍って仕えている、という。
玉依比売命は別雷神の母で、下鴨神社の御祭神なのだが、当社名の「御子」は「神の御子(子供)」ではなく「巫女」(ミカンコ)の意で、最高巫女を神格化した神だという。
そのため、現在も本宮の恒例の祭祀には、まず当社で祭を行う例となっている。上賀茂神社の第一摂社という高い格式が与えられている所以。
その祭祀中、当社に対する祝詞が終ると、神人が「片岡社の土まつり」という詞を発する。本宮ではその詞を聞いた後、本宮に祝詞を奏上する例となっている。
この次第はすでに『嘉元年中行事記』にみえ、鎌倉時代後期の嘉元年間(1303年-1307年)には定着しており、その起源の古いことを示している。
古くは、当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が3個あったが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、汚穢を懼れて地下に埋没したという。
当社の本殿は一間社流造で、檜皮葺。拝殿は切妻造妻入の割拝殿。御物忌川(おものいかわ)に架けられた片岡橋は明治初年(1868年)の建造で、国の重要文化財に指定されている。
【ご利益】
良縁、縁結び、女性守護
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片山御子神社(かたやまのみこじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂本山、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境内社。片山社、片岡社とも。御朱印の有無は不明。
賀茂別雷神社の楼門近くに鎮座する。当社のすぐ南には須波神社がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「片山御子神社」に比定される式内社(大社、月次・相嘗・新嘗)。現在は上賀茂神社の境内摂社である。
創祀年代は不詳。『日本文徳実録』斎衛3年(856年)条に「山城国片山神」として記載され、「官社に列し、兼ねて相嘗祀に預かる」とある。
貞観元年(859年)には、出雲井於神社・鴨川合神などとともに従五位に叙せられ、その後も昇階し、寛仁元年(1017年)には正二位まで進んだ。
『新古今和歌集』には紫式部の下記の歌が掲載されている。上賀茂神社に参詣した際、当社地付近の丘を見て読んだものと考えられている。
原文一緒にいたおそらく意中の人が、「ほとぎすに鳴いて欲しいものだ」と言った際の歌で、曙の美しい情景に片岡の梢の美しさ、ほとときぎすの声を待つ心のときめきを示す。
時鳥 声待つほどは 片岡の 森の雫に 立ちや濡れまし
意味
ほとどぎすの鳴き声を待っている間は、片岡の森の朝露の雫に、立っていて濡れよう
この歌により、現在当社は、縁結びの社としても注目されている。当社の絵馬は葵の葉を模したものだが、ハート形に見える。
当社の御祭神は玉依比売命。ただし、異説も多く、当社神は上賀茂神社の地主神と考えて、大己貴命とするもの、その御子だから事代主命とするものなど。
ともかく、玉依比売命は賀茂県主族の祭祀の権を握っていた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得させた神で、常に別雷神の側に侍って仕えている、という。
玉依比売命は別雷神の母で、下鴨神社の御祭神なのだが、当社名の「御子」は「神の御子(子供)」ではなく「巫女」(ミカンコ)の意で、最高巫女を神格化した神だという。
そのため、現在も本宮の恒例の祭祀には、まず当社で祭を行う例となっている。上賀茂神社の第一摂社という高い格式が与えられている所以。
その祭祀中、当社に対する祝詞が終ると、神人が「片岡社の土まつり」という詞を発する。本宮ではその詞を聞いた後、本宮に祝詞を奏上する例となっている。
この次第はすでに『嘉元年中行事記』にみえ、鎌倉時代後期の嘉元年間(1303年-1307年)には定着しており、その起源の古いことを示している。
古くは、当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が3個あったが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、汚穢を懼れて地下に埋没したという。
当社の本殿は一間社流造で、檜皮葺。拝殿は切妻造妻入の割拝殿。御物忌川(おものいかわ)に架けられた片岡橋は明治初年(1868年)の建造で、国の重要文化財に指定されている。
【ご利益】
良縁、縁結び、女性守護
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