もとは澤田社、所在不明の式内に比定、上賀茂神社の田畑の守護神
[住所]京都府京都市北区上賀茂本山339
[電話]075-781-0011 - 賀茂別雷神社
賀茂山口神社(かもやまぐちじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂本山、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境内にある神社。沢田神社、澤田社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「賀茂山口神社」に比定される式内社(小社)の論社。上賀茂神社の境内摂社である。
創祀年代は不詳。式内社「賀茂山口神社」は平安時代前期の貞観元年(859年)正月27日、従五位下に進んでいる。
『延喜式』神名帳には「山口神社」が14社あるが、この「賀茂山口神社」以外、すべて大和国の大社。その中には、鴨山口神社もある。
山口神社は、『延喜式』祈年祭の祝詞に「山の口に坐す皇神等の前に曰さく」とある。いわゆる、大和六所山口神社であり、十四所山口神社である。
「賀茂山口神社」がこの大和国の山口神社と何か関係があるのかどうかは不詳。近世には式内社「賀茂山口神社」の所在は失われた。
明治になって、『特選神名牒』の説を採用して、上賀茂神社の境内摂社である澤田社、つまり当社が式内比定された。
明治10年(1877年)3月21日、内務省より第五摂社に定められた。御祭神は御歳神で、本宮の御田をはじめ、神領地・田畑守護の神である。
本宮年内行事、6月10日の御田植祭では、必ず当社にも祭典を奉祀して御田に参行し、御田植の儀を行うことになっており、今でも当社前で五穀豊穣を祈願する。
ただし、当社の御祭神については異説もあり、『神社覈録』では、大和国の山口神社で多く祀られている大山祇命としている。
また、澤田大明神・賀茂山口神など一般的な神名とする説や、御歳神と同一神格の五穀豊穣の神である倉稲魂命とする説もある。
他に、天太玉命・経津主神などとするものがある。ともかく、当社の現社殿は江戸時代初期の寛永5年(1628年)の造営だという。
なお、式内社「賀茂山口神社」の論社は他に、やはり上賀茂神社の境内末社である山森神社がある。
ただし、当社も含め、式内社「賀茂山口神社」の比定根拠には決め手がなく、所在不明とするのが正しい、という意見が有力。
【ご利益】
五穀豊穣
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『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「賀茂山口神社」に比定される式内社(小社)の論社。上賀茂神社の境内摂社である。
創祀年代は不詳。式内社「賀茂山口神社」は平安時代前期の貞観元年(859年)正月27日、従五位下に進んでいる。
『延喜式』神名帳には「山口神社」が14社あるが、この「賀茂山口神社」以外、すべて大和国の大社。その中には、鴨山口神社もある。
山口神社は、『延喜式』祈年祭の祝詞に「山の口に坐す皇神等の前に曰さく」とある。いわゆる、大和六所山口神社であり、十四所山口神社である。
「賀茂山口神社」がこの大和国の山口神社と何か関係があるのかどうかは不詳。近世には式内社「賀茂山口神社」の所在は失われた。
明治になって、『特選神名牒』の説を採用して、上賀茂神社の境内摂社である澤田社、つまり当社が式内比定された。
明治10年(1877年)3月21日、内務省より第五摂社に定められた。御祭神は御歳神で、本宮の御田をはじめ、神領地・田畑守護の神である。
本宮年内行事、6月10日の御田植祭では、必ず当社にも祭典を奉祀して御田に参行し、御田植の儀を行うことになっており、今でも当社前で五穀豊穣を祈願する。
ただし、当社の御祭神については異説もあり、『神社覈録』では、大和国の山口神社で多く祀られている大山祇命としている。
また、澤田大明神・賀茂山口神など一般的な神名とする説や、御歳神と同一神格の五穀豊穣の神である倉稲魂命とする説もある。
他に、天太玉命・経津主神などとするものがある。ともかく、当社の現社殿は江戸時代初期の寛永5年(1628年)の造営だという。
なお、式内社「賀茂山口神社」の論社は他に、やはり上賀茂神社の境内末社である山森神社がある。
ただし、当社も含め、式内社「賀茂山口神社」の比定根拠には決め手がなく、所在不明とするのが正しい、という意見が有力。
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