もとは天野神社、鹿田庄12ヶ村の総鎮守、大正期に八幡宮を合祀
[住所]岡山県岡山市北区青江3-2-1
[電話]086-267-3317
天野八幡宮(あまのはちまんぐう)は、岡山県岡山市北区青江にある神社。国道30号線と県道40号線が交わる地点の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「天神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
もとは天野神社(高皇産霊神・若日女神・神皇産霊神)。創祀年代は不詳。社伝によれば、鹿田庄12ヶ村の総鎮守で、はじめは三門に鎮座していた。
12ヶ村は、大供・東古松・岡・内田・奥内・田住・二日市・七日市・十日市・浜野・円覚・青江。
平安時代末期の天承元年(1131年)、奥田に遷座した。さらに、大正10年(1921年)、現在地である青江に遷座し、その地の八幡宮を合祀して、現社号に改称した。
この八幡宮(仲哀天皇・応神天皇・神功皇后)は、平治元年(1159年)8月26日、山城国男山八幡宮を勧請したもの。
昭和20年(1945年)6月29日、空襲により幣殿、拝殿、神饌所を焼失した。昭和25年(1950年)6月1日、拝殿を新築した。
例祭は10月第3土・日曜日で秋祭。2月1日が厄除・算賀祭、5月17日が春祭で、6月1日が前厄・後厄払い祭り。
境内社に、若宮・稲荷神社・祖霊社・弁天宮・荒神社・寄宮がある。8月3日が夏稲荷祭。入り口には、幕末の嘉永7年(1854年)8月建立の浪速狛犬がある。
明治維新後、南側にある石鳥居に彫られた「南無妙法蓮華経」という文字を削り落とそうとしたところ、途中で石工が腹痛に襲われて中断したままになったという逸話がある。
もともと当社の御神体は大覚大僧正手刻の八幡大菩薩の木像で、青江にあった日蓮宗妙泉寺に祀られていたが、同寺が廃寺になった際、当社に移されたものだという。
なお、式内社「天神社」の論社は他に、三野本町の天神社、津島福居の天津神社、岡山神社に移されたものがある。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、安産、家内安全
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天野八幡宮(あまのはちまんぐう)は、岡山県岡山市北区青江にある神社。国道30号線と県道40号線が交わる地点の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「天神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
もとは天野神社(高皇産霊神・若日女神・神皇産霊神)。創祀年代は不詳。社伝によれば、鹿田庄12ヶ村の総鎮守で、はじめは三門に鎮座していた。
12ヶ村は、大供・東古松・岡・内田・奥内・田住・二日市・七日市・十日市・浜野・円覚・青江。
平安時代末期の天承元年(1131年)、奥田に遷座した。さらに、大正10年(1921年)、現在地である青江に遷座し、その地の八幡宮を合祀して、現社号に改称した。
この八幡宮(仲哀天皇・応神天皇・神功皇后)は、平治元年(1159年)8月26日、山城国男山八幡宮を勧請したもの。
昭和20年(1945年)6月29日、空襲により幣殿、拝殿、神饌所を焼失した。昭和25年(1950年)6月1日、拝殿を新築した。
例祭は10月第3土・日曜日で秋祭。2月1日が厄除・算賀祭、5月17日が春祭で、6月1日が前厄・後厄払い祭り。
境内社に、若宮・稲荷神社・祖霊社・弁天宮・荒神社・寄宮がある。8月3日が夏稲荷祭。入り口には、幕末の嘉永7年(1854年)8月建立の浪速狛犬がある。
明治維新後、南側にある石鳥居に彫られた「南無妙法蓮華経」という文字を削り落とそうとしたところ、途中で石工が腹痛に襲われて中断したままになったという逸話がある。
もともと当社の御神体は大覚大僧正手刻の八幡大菩薩の木像で、青江にあった日蓮宗妙泉寺に祀られていたが、同寺が廃寺になった際、当社に移されたものだという。
なお、式内社「天神社」の論社は他に、三野本町の天神社、津島福居の天津神社、岡山神社に移されたものがある。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、安産、家内安全
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