江戸中期の特徴的な石燈籠、境内に神田稲荷と広高神社
[住所]岡山県瀬戸内市邑久町尻海3038
[電話]0869-66-7822
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、岡山県瀬戸内市邑久町尻海にある神社。近代社格では村社。県道225号線を玉津郵便局辺りで北上。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳。古くは字大土井カベラに鎮座し、結体角弥、藤藏秀則、朝日寺、横尾光花寺の三家が奉仕したが、室町時代の寛正6年(1466年)、現在地に移転した。
社領8斗の記録が残る。江戸時代後期の寛政年間(1789年-1801年)、社殿を改築。明治になり、村社に列し、明治40年(1907年)、社殿を改築した。
明治42年(1909年)、神饌幣帛料供進社に指定された。翌明治43年(1910年)5月28日、村社大山祗神社(大山祇神)ほか境外末社を合祀した。
平成6年(1994年)3月、本殿を改築、10月には幣殿・拝殿を改築した。当社の御祭神は、仁徳天皇・仲哀天皇・神功皇后。
例祭は10月15日で秋季大祭。5月4日には春祭があり、だんじり祭。なお、境内には巨岩がある。
現在は才崎という地名であるが、もとは神坂(みわさか)と呼ばれた。神坂(才崎)には才崎宮があったが、現在は当社境内の広高神社がそれに該当する。
広高神社は、本殿背後の末社殿の右から4社目に鎮座している。式内社である東須恵の美和神社の本宮との説がある。
美和神社は今でも、10月8・9日の秋季大祭で、東須恵と西須恵の祷主と神職および従者数名が、邑久町尻海の海岸で潮ごりをとる。
その上で、広高神社へ酒・米などを供えて祀る神事が行われている。
他に、当社の末社の神田稲荷神社は神徳顕著であるため人々の尊崇が篤いという。2月11日が神田稲荷神社会陽で修正会祭。
拝殿の前方左右に立つ総高3.6メートルの同型で二期一対の石燈籠がある。台脚に江戸時代中期の安永7年(1778年)8月16日銘があり、市指定重要文化財。
当地尻海在住の商人と思われる薩摩屋藤太夫が、中国風を背景に持った琉球・南薩様式の石燈籠を寄進したもの。
【ご利益】
厄災除け、事業成功、安産、家内安全
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若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、岡山県瀬戸内市邑久町尻海にある神社。近代社格では村社。県道225号線を玉津郵便局辺りで北上。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳。古くは字大土井カベラに鎮座し、結体角弥、藤藏秀則、朝日寺、横尾光花寺の三家が奉仕したが、室町時代の寛正6年(1466年)、現在地に移転した。
社領8斗の記録が残る。江戸時代後期の寛政年間(1789年-1801年)、社殿を改築。明治になり、村社に列し、明治40年(1907年)、社殿を改築した。
明治42年(1909年)、神饌幣帛料供進社に指定された。翌明治43年(1910年)5月28日、村社大山祗神社(大山祇神)ほか境外末社を合祀した。
平成6年(1994年)3月、本殿を改築、10月には幣殿・拝殿を改築した。当社の御祭神は、仁徳天皇・仲哀天皇・神功皇后。
例祭は10月15日で秋季大祭。5月4日には春祭があり、だんじり祭。なお、境内には巨岩がある。
現在は才崎という地名であるが、もとは神坂(みわさか)と呼ばれた。神坂(才崎)には才崎宮があったが、現在は当社境内の広高神社がそれに該当する。
広高神社は、本殿背後の末社殿の右から4社目に鎮座している。式内社である東須恵の美和神社の本宮との説がある。
美和神社は今でも、10月8・9日の秋季大祭で、東須恵と西須恵の祷主と神職および従者数名が、邑久町尻海の海岸で潮ごりをとる。
その上で、広高神社へ酒・米などを供えて祀る神事が行われている。
他に、当社の末社の神田稲荷神社は神徳顕著であるため人々の尊崇が篤いという。2月11日が神田稲荷神社会陽で修正会祭。
拝殿の前方左右に立つ総高3.6メートルの同型で二期一対の石燈籠がある。台脚に江戸時代中期の安永7年(1778年)8月16日銘があり、市指定重要文化財。
当地尻海在住の商人と思われる薩摩屋藤太夫が、中国風を背景に持った琉球・南薩様式の石燈籠を寄進したもの。
【ご利益】
厄災除け、事業成功、安産、家内安全
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