平安前期の創建の式内社、10月に加茂大祭で神輿渡御
[住所]岡山県加賀郡吉備中央町上加茂471
[電話]0867-35-0114
鴨神社(かもじんじゃ)は、岡山県加賀郡吉備中央町上加茂にある神社。宇甘川西岸、国道484号線と429号線が交わる、429号線沿い。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 津高郡「鴨神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第52代嵯峨天皇の御宇、平安時代前期の弘仁年間(810年-824年)、山城国賀茂大明神を勧請し、別鴨命を祀ったという。
『備前国神名帳』津高郡に「従四位下 鴨明神」とある。一方で、『日本書紀』応神紀に「以波區藝縣封御友別弟鴨別。是笠臣之祖也」とある。
『吉備温故秘録』では、上古、津高郡は鴨県といい、笠臣(笠国造)がその始祖である鴨別命を祀ったもの、としている。
もとは現在地の南500メートルの矢阪の山上に鎮座していたといい、山上には大明神屋敷と呼ばれる平地があるという。
また、山麓には假屋という家があり、現在地へ遷座の際に、假屋を建てた跡だともされる。
戦国時代の天文10年(1541年)、虎倉城主伊賀氏が社殿を造営し、社領を献じた。池田光政も社殿・末社を造営し、社領米を献進した。
その後、池田家代々の崇敬が篤かったと伝わる。江戸時代中期の享保元年(1716年)に社殿造営の記録が残る。
古くは鴨大明神、賀茂大明神また加茂大明神と称していた。現在も、入口の明神鳥居には「加茂大明神」の額が掛かる。
明治になり、郷社に列し、明治2年(1869年)、現社号に改称した。明治40年(1907年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
主祭神は別雷命。ただし、饒速日命の別称とする。明治末年(1912年)、八幡神社(品陀別命・足仲彦命・神功皇后)を合祀した。
現在の社殿は、昭和10年(1935年)に約3.5メートルの石壇を築いて本殿を引き上げ、その跡に幣拝殿を移設、釣殿を新設したもの。
本殿は、正面三間・側面二間、入り母屋造り・妻入り、唐破風向拝付き、もとは桧皮葺き。昭和52年(1977年)、銅板葺きにした。
例祭は10月第3日曜日で御神幸祭。県下三大祭りの一つ加茂大祭で、当社の神輿や太鼓の行列が総社宮に入御する。
入御される総社宮の祭典ともされるが、地名や祭典名、入御する八つの神社の中で当社が最初であることなどから、当社とのかかわりが深いものとも考えられる。
境内社に、荒神社・御崎神社・金刀比羅宮などがある。金刀比羅宮は、もとは稲荷神社で、明治末年(1912年)に金刀比羅宮と以下の神社が合祀された。
木山神社・地神社・川上神社・素盞嗚神社・番神社・今宮・系普神社・御玉神社・幸神社・祇園神社・山神社・賀茂神社・水神社・武甕槌神社・大山社・愛宕神社・厄神社・森神社・龍神社・護王神社・神納社
随神門があり、その中には江戸時代後期の享和3年(1803)8月建立の神門狛犬一対がある。参道入口には、昭和16年(1941年)1月建立の狛犬一対がある。
境内の社号標には「式内郷社鴨神社」とある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全
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鴨神社(かもじんじゃ)は、岡山県加賀郡吉備中央町上加茂にある神社。宇甘川西岸、国道484号線と429号線が交わる、429号線沿い。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 津高郡「鴨神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第52代嵯峨天皇の御宇、平安時代前期の弘仁年間(810年-824年)、山城国賀茂大明神を勧請し、別鴨命を祀ったという。
『備前国神名帳』津高郡に「従四位下 鴨明神」とある。一方で、『日本書紀』応神紀に「以波區藝縣封御友別弟鴨別。是笠臣之祖也」とある。
『吉備温故秘録』では、上古、津高郡は鴨県といい、笠臣(笠国造)がその始祖である鴨別命を祀ったもの、としている。
もとは現在地の南500メートルの矢阪の山上に鎮座していたといい、山上には大明神屋敷と呼ばれる平地があるという。
また、山麓には假屋という家があり、現在地へ遷座の際に、假屋を建てた跡だともされる。
戦国時代の天文10年(1541年)、虎倉城主伊賀氏が社殿を造営し、社領を献じた。池田光政も社殿・末社を造営し、社領米を献進した。
その後、池田家代々の崇敬が篤かったと伝わる。江戸時代中期の享保元年(1716年)に社殿造営の記録が残る。
古くは鴨大明神、賀茂大明神また加茂大明神と称していた。現在も、入口の明神鳥居には「加茂大明神」の額が掛かる。
明治になり、郷社に列し、明治2年(1869年)、現社号に改称した。明治40年(1907年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
主祭神は別雷命。ただし、饒速日命の別称とする。明治末年(1912年)、八幡神社(品陀別命・足仲彦命・神功皇后)を合祀した。
現在の社殿は、昭和10年(1935年)に約3.5メートルの石壇を築いて本殿を引き上げ、その跡に幣拝殿を移設、釣殿を新設したもの。
本殿は、正面三間・側面二間、入り母屋造り・妻入り、唐破風向拝付き、もとは桧皮葺き。昭和52年(1977年)、銅板葺きにした。
例祭は10月第3日曜日で御神幸祭。県下三大祭りの一つ加茂大祭で、当社の神輿や太鼓の行列が総社宮に入御する。
入御される総社宮の祭典ともされるが、地名や祭典名、入御する八つの神社の中で当社が最初であることなどから、当社とのかかわりが深いものとも考えられる。
境内社に、荒神社・御崎神社・金刀比羅宮などがある。金刀比羅宮は、もとは稲荷神社で、明治末年(1912年)に金刀比羅宮と以下の神社が合祀された。
木山神社・地神社・川上神社・素盞嗚神社・番神社・今宮・系普神社・御玉神社・幸神社・祇園神社・山神社・賀茂神社・水神社・武甕槌神社・大山社・愛宕神社・厄神社・森神社・龍神社・護王神社・神納社
随神門があり、その中には江戸時代後期の享和3年(1803)8月建立の神門狛犬一対がある。参道入口には、昭和16年(1941年)1月建立の狛犬一対がある。
境内の社号標には「式内郷社鴨神社」とある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全
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