元禄期の本殿、式内論社、神名帳記載、もとは「紫明現」
[住所]岡山県赤磐市多賀1610
[電話]086-276-6266
鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は、岡山県赤磐市多賀1610にある神社。県道27号線から多賀上交差点で県道364号線に入る。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 赤坂郡「鴨神社三座」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。
「郷ノ佐古池」という池があり、その東岸から急な山道を10分ほど登っていく。こちらは脇道で、本来の参道もある。
創建は江戸時代前期の元禄8年(1695年)3月。『延喜式』のはるか後のこととなり、式内社たりえない。ただし、これは再建であり、もっと古い創祀なのかもしれない。
三間社流造の現在の本殿は、この元禄8年のものとされる。無指定のようで、保存状態など次第だが、建築年代に誤りがなければ、最低でも県や市の重要文化財クラス。
『備前国神名帳』赤坂郡には「正四位下 鴨布施明神」「正五位下 鴨布施明神」とあるが、当社が江戸期創建とすると、『備前国神名帳』よりも後のことになる。
近辺には仁堀西の鴨神社、由津里の片山神社、上仁保に当社と同名神社があり、式内三座と神名帳記載二明神をどのように考えるか、諸説ある。
岡山県神社庁では、備前国式内外古社128社の一つ、とあるが、創建が江戸期であれば、式内でも式外でもないことになる。
ただ中世には「紫明現」と称したということで、やはり近世江戸期のものは再建で、少なくとも江戸時代以前には存在していたか。
ともかく、明治4年(1871年)2月に一旦、天津神社と改称したが、明治6年(1873年)に現社号に復した。
古来旱魃の時に、雨壺に水を盛り、祈雨祭を執行しているという。御祭神は水分神。ただし、社殿に掲げられた説明板では、大己貴命・鴨事代主命となっている。
12月第2日曜日には霜月祭りが行われる。
【ご利益】
祈雨・天候、五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒
【関連記事】
・岡山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岡山県に鎮座している神社の一覧
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鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は、岡山県赤磐市多賀1610にある神社。県道27号線から多賀上交差点で県道364号線に入る。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 赤坂郡「鴨神社三座」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。
「郷ノ佐古池」という池があり、その東岸から急な山道を10分ほど登っていく。こちらは脇道で、本来の参道もある。
創建は江戸時代前期の元禄8年(1695年)3月。『延喜式』のはるか後のこととなり、式内社たりえない。ただし、これは再建であり、もっと古い創祀なのかもしれない。
三間社流造の現在の本殿は、この元禄8年のものとされる。無指定のようで、保存状態など次第だが、建築年代に誤りがなければ、最低でも県や市の重要文化財クラス。
『備前国神名帳』赤坂郡には「正四位下 鴨布施明神」「正五位下 鴨布施明神」とあるが、当社が江戸期創建とすると、『備前国神名帳』よりも後のことになる。
近辺には仁堀西の鴨神社、由津里の片山神社、上仁保に当社と同名神社があり、式内三座と神名帳記載二明神をどのように考えるか、諸説ある。
岡山県神社庁では、備前国式内外古社128社の一つ、とあるが、創建が江戸期であれば、式内でも式外でもないことになる。
ただ中世には「紫明現」と称したということで、やはり近世江戸期のものは再建で、少なくとも江戸時代以前には存在していたか。
ともかく、明治4年(1871年)2月に一旦、天津神社と改称したが、明治6年(1873年)に現社号に復した。
古来旱魃の時に、雨壺に水を盛り、祈雨祭を執行しているという。御祭神は水分神。ただし、社殿に掲げられた説明板では、大己貴命・鴨事代主命となっている。
12月第2日曜日には霜月祭りが行われる。
【ご利益】
祈雨・天候、五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒
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