南北朝期創建の田土浦神社、式内論社とも、境内に三対の狛犬
[住所]岡山県岡山市南区阿津2104
[電話]086-269-2103
廣幡八幡宮(ひろはたはちまんぐう、広幡八幡宮)は、岡山県岡山市南区阿津にある神社。児島湾にかかる児島湾大橋を渡り、74号線を東へ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 児島郡「田土浦坐神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
南北朝時代末期の嘉慶元年(1387年)10月に創建された。田土浦の安の津、比良山(平山)の東を鎮座地として、田土浦神社、または水母八幡宮と称された。
田土浦神社の名称が式内根拠のようだが、当社の創建は『延喜式』のはるか後の話で、式内社たりえない。
江戸時代前期の寛永9年(1632年)2月、現在の宮山に遷り、同年6月に現社号に改称、宮浦、阿津、小串の産土神として祭祀された。
寛文6年(1666年)5月、備前藩が神仏習合の祭祀を分離するにあたり、寛文7年(1667年)3月に京都神道管領吉田家の社印を受け、石清水八幡宮の御神霊を勧請した。
御祭神は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰。彦火火出見命を合祀している。例祭は10月15日に近い日曜日。
7月28日は大祓祭で茅の輪くぐり、1月1日は歳旦祭で交通安全祈願祭がある。
当社には、鳥居手前、随神門内、本殿玉垣前に三対の狛犬がある。また、拝殿目貫彫刻にも狛犬の親子が彫られている。
境内社に、稲荷宮・地神社など、多数の小さなお社が祀られている。また、「戦没者慰霊」の碑が建つ。
なお、式内社「田土浦坐神社」の論社は他に、市内南区宮浦の高島神社、倉敷市下津井田之浦に式内同名神社がある。ちなみに、宮浦の高島神社の遥拝所は、当社のほど近くにある。
【ご利益】
厄災除け、安産、事業成功
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・岡山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岡山県に鎮座している神社の一覧
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廣幡八幡宮(ひろはたはちまんぐう、広幡八幡宮)は、岡山県岡山市南区阿津にある神社。児島湾にかかる児島湾大橋を渡り、74号線を東へ。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 児島郡「田土浦坐神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
南北朝時代末期の嘉慶元年(1387年)10月に創建された。田土浦の安の津、比良山(平山)の東を鎮座地として、田土浦神社、または水母八幡宮と称された。
田土浦神社の名称が式内根拠のようだが、当社の創建は『延喜式』のはるか後の話で、式内社たりえない。
江戸時代前期の寛永9年(1632年)2月、現在の宮山に遷り、同年6月に現社号に改称、宮浦、阿津、小串の産土神として祭祀された。
寛文6年(1666年)5月、備前藩が神仏習合の祭祀を分離するにあたり、寛文7年(1667年)3月に京都神道管領吉田家の社印を受け、石清水八幡宮の御神霊を勧請した。
御祭神は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰。彦火火出見命を合祀している。例祭は10月15日に近い日曜日。
7月28日は大祓祭で茅の輪くぐり、1月1日は歳旦祭で交通安全祈願祭がある。
当社には、鳥居手前、随神門内、本殿玉垣前に三対の狛犬がある。また、拝殿目貫彫刻にも狛犬の親子が彫られている。
境内社に、稲荷宮・地神社など、多数の小さなお社が祀られている。また、「戦没者慰霊」の碑が建つ。
なお、式内社「田土浦坐神社」の論社は他に、市内南区宮浦の高島神社、倉敷市下津井田之浦に式内同名神社がある。ちなみに、宮浦の高島神社の遥拝所は、当社のほど近くにある。
【ご利益】
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