古くは春日宮・戸隠宮、「とかくっさん」で親しまれる古社
石門別神社 岡山県岡山市北区大供表町3-31
[住所]岡山県岡山市北区大供表町3-31
[電話]086-222-4927

石門別神社(いわとわけじんじゃ)は、岡山県岡山市北区大供表町にある神社。宇野みなと線の大元駅の東、県道173号線、水道客前交差点の近く。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡に二つある「石門別神社」の一つに比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。『備前国神名帳』に「従二位 天津石門別大明神 坐三野郡」とある。ただし、『備前国神名帳』には一つの天津石門別大明神しかなく、比定はできない。

当社は、もとは御野郡伊福郷の大安寺山に祀られており、平安時代前期の延喜6年(906年)正月、現在地へ遷座したと伝えられている。

一説に、もとは三門村にあったとも、あるいは伊福村高御殿という場所に鎮座していたともされる。様々な説がある。

『荘園資料』などによると、当社の鎮座する大供付近は、藤原氏の氏長者に属する殿下渡領となった鹿田荘の荘園に含まれていたと考えられている。

『備前国式内書考録』によれば、式内社「石門別神社」は早くから所在が不明になっていた。

江戸時代中期の元文4年(1739年)『備陽国誌』に、「戸隠宮 大供村。所祭 手力雄命。延喜式に御野郡石門別神社と云う当社ならんかと云へり」とある。

この戸隠宮、さらに古くは春日宮とも呼ばれ、あるいは戸隠神社と呼ばれた当社が式内比定されたが、その後も紆余曲折があったようだ。

上述のように、鎮座地が諸説あり、確定できないことも一つの要因だったようで、明治3年(1870年)の『神社明細帳』でも「戸隱宮」とある。

『御國中神社略記』によれば、当社には神宮寺があり、『吉備温故秘録』は廃寺の項に「日蓮宗安立山大福寺 大供村・本寺蓮昌寺」と記している。

この大福寺は、岡山藩の寛文年間(1661年-1673年)の社寺整理の際に廃寺とされた。

現在の本殿は、明治16年(1833)に建て替えられたもので、一間社、入り母屋流造、唐破風向拝付き・桧皮葺き。現在は銅板葺きになっている。

御祭神は、天津石門別命。戸隠宮と呼ばれ、今でも通称は「とかくしさん」「とかくっさん」なので、戸隠神社の系列と考えられ、手力雄命とする説もある。

例祭は10月12・13日で秋季例大祭。5月12・13日が春季例大祭、7月31日が茅の輪祭。

境内社に、塞神社・稲荷神社・思兼神社・木野山神社・金刀比羅宮・荒神社・若宮・七神相殿社・磐戸神社・春日神社などがある。

なお、御野郡に二つある「石門別神社」のもう一つの式内社は、市内北区奥田南町に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
道開き、方除け
石門別神社 岡山県岡山市北区大供表町
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