国司祈年所祭社、国魂の斎場、江戸期には国守八幡宮の相殿
國神社 岡山県岡山市北区三門中町5-1
[住所]岡山県岡山市北区三門中町5-1
[電話]086-252-3744

國神社(くにじんじゃ)は、岡山県岡山市北区三門中町にある神社。JR岡山駅の西、国道180号線を越える。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「国神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

南向きに境内入口があり、境内は国守山の上。社前の通りは、江戸時代の山陽道。岡山市街の眺望は絶佳である。

創建は平安時代前期の貞観2年(860年)。神階は従四位下である。国司祈年所祭神社だという。

上古には名称から、「くにのかみのやしろ」と訓読したか、国魂の斎場、あるいは国津神の降臨した斎庭だったと推察される。

安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)に再建された。社領は2石6斗2升だった。

江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)に造営。江戸時代中期の宝暦元年(1751年)に再建。明和3年(1766年)、国守八幡宮を合祀した。

この間備前藩から用材、銀札、制札などの寄進があった。ただ、実態としては当時、八幡宮が主体だったらしい。

『備陽国誌』に、「国神社、三門村所祭、大国魂神、何れの時にか廃して、今社地のみ残れり」とある。

『式内社調査報告』によれば、式内社「国神社」は当時、八幡宮の相殿に祀られていたという。

『備前国式内書上考録』によれば、八幡宮の相殿に祀られる以前の、当社のもとの宮地は三門村の東高御堂という地の畑の中の石「大国石」の付近だった。

明治になり、村社に列した。明治36年(1903年)、社殿が炎上し、社宝、文書が焼失。翌明治37年(1904年)に再建された。

昭和29年(1954年)の台風で倒壊、翌昭和30年(1955年)に鉄筋コンクリートで神明造りの本殿を再建した。石段は昭和52年(1977年)に拡幅した。

表参道の鳥居、石階段は元禄15年(1702年)、一対の石灯籠は文政3年(1820年)の築造である。

氏子区域は岩井、島田、奉還町、富田町、西崎など39ヶ町。氏子数も年々増加しているという。

御祭神は大國主命事代主命。例祭は10月5・6日で秋祭。1月10日が戎祭、8月1日が夏祭。八幡宮としての名残で、仲哀天皇応神天皇神功皇后を配祀している。

境内社として、箆取神社、素盞嗚神少彦名神を祀る祠、稲荷社などがあり、伊勢の神宮(伊勢神宮)と伏見稲荷大社の遥拝所もある。

【ご利益】
縁結び、病気平癒、商売繁盛
國神社 岡山県岡山市北区三門中町
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