社殿背後に磐境、尾張氏の伊福部連、栗岡宮とも呼ばれた式内論社
尾針神社 岡山県岡山市北区京山2-2-2
[住所]岡山県岡山市北区京山2-2-2
[電話]086-254-2899

尾針神社(おはりじんじゃ)は、岡山県岡山市北区京山にある神社。JR岡山駅の北西。国道53号線から伊福町四丁目の交差点を北上、岡山西税務署付近を西進。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「尾針神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社殿背後には磐境とされる巨石群が残っているほか、丘の東斜面からは土師器・須恵器が出土しており、古くから生活が営まれていたことがうかがわれる。

創祀年代は不詳。一帯は古くは「吉備国御野郡伊福郷」と称され、尾張連の一族である伊福部連の居住地であったという。

当社はその祖神である天火明命を奉斎したことが起源。付近にはやはり尾張氏ゆかりの尾治針名真若比咩神社が鎮座している。

一方で、『吉備温故秘録』では当社御祭神として、尾綱根命や日本武尊とする説を挙げている。尾綱根命は尾治針名根連命の父であり、いずれにしても尾張にゆかりが深い。

愛知県名古屋市には針名神社があり、犬山市には針綱神社があって、尾綱根命や尾治針名根連命が祀られている。

式内社「尾針神社」は江戸時代になると所在不明となった。当時の文献では酒折宮、つまり現在の岡山神社が式内社地との指摘がある。

現在も岡山神社の末社に尾針神社があり、論社となっている。当社は国主池田氏が父祖以来、代々篤く崇敬され、社領5斗2升が献じられた。

当社は明治初年(1868年)までは「栗岡宮」、あるいは「栗岡大明神」と呼ばれていたという。

栗岡大明神(大気都比売命)は、当社南方の栗山に鎮座した別の神社だったともされ、後に合祀して相殿としたという。

さらに、江戸期には栗岡大明神が当社を合祀し、相殿に尾針神社を祀った、という記録もある。

主従定かではないが、明治に入り、現社号に復し、村社に列した。昭和15年(1940年)、本殿・幣殿・拝殿・瑞垣を改築した。

昭和46年(1971年)、隋神門・境内末社・社務所の改築と境内地の整備を行った。例祭は10月20・21日で例大祭。

例大祭には境内に多くの店が並び、多くの人で賑わう。また、5月第2日曜日が祈年祭で、7月29日が夏祭。

境内社に、稲荷神社(宇加之魂神)、若宮(天香山命)、木切宮(句々廼馳命)、荒神社(素盞鳴命)、注連宮(天細女神)、天満宮(菅原道真公)、前御前宮(猿田毘古命)などがある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、五穀豊穣
尾針神社 岡山県岡山市北区京山
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