出雲の一族が御野を開拓して勧請、江戸中期に社地で式内復興
[住所]岡山県岡山市北区北方4-2-29
[電話]086-222-5175
御崎宮(おんざきぐう)は、岡山県岡山市北区北方にある神社。近代社格では郷社。旭川西岸、津山線の法界院駅の東。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建年代は不詳。遥か古え、出雲の国の一族が岡山の御野を開拓。その際、出雲の神を祀ったのが起源と思われる。
『吉備温故秘録』によれば、出雲国日御碕神社から勧請したという。御野の産土神として古くから崇敬された。
「みさき」社からの勧請だが、当社名の読みは「おんざき」。当地の風習によって転訛したものか。
もとは上道郡竹田地内(現 岡山市中島)に鎮座していたが、天正年間(1573年-1593年)、宇喜多秀家による岡山城城下への引水のため、現在地に遷座した。
寛延4年(1751年)、所在不明となっていた、『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「尾治針名真若比女神社」に比定される式内社(小社)が当地に再興された。
式内社復興の動きにともなうもの。明治8年(1875年)、天津神社が鎮座していた津島の地にこの式内後継社は遷座した。今の尾治針名真若比咩神社である。
当社は天保年間(1831年-1845年)、随神門が再建され、現在の社殿も江戸時代後期のものだという。権現造りの社殿再建は嘉永10年ともされるが、嘉永に10年はなく、不詳。
御祭神は、大国主神・猿田彦神・須佐之男神。「縁結びのお宮」だという。例祭は10月10日で秋祭り、巫女舞・獅子舞などが奉納される。
7月19日には夏祭りが行われ、茅の輪くぐり神事の他、巫女舞・獅子舞などの奉納がある。1月15日がとんど祭で古神礼焼納。
境内社に、天津神社(少彦名命)、志米神社(不詳)、八幡宮(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)、稲荷神社二社(倉稲魂命)、天神社(少彦名命)がある。
【ご利益】
縁結び、厄災除け、病気平癒、交通安全(公式HP)
【関連記事】
・岡山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岡山県に鎮座している神社の一覧
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御崎宮(おんざきぐう)は、岡山県岡山市北区北方にある神社。近代社格では郷社。旭川西岸、津山線の法界院駅の東。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建年代は不詳。遥か古え、出雲の国の一族が岡山の御野を開拓。その際、出雲の神を祀ったのが起源と思われる。
『吉備温故秘録』によれば、出雲国日御碕神社から勧請したという。御野の産土神として古くから崇敬された。
「みさき」社からの勧請だが、当社名の読みは「おんざき」。当地の風習によって転訛したものか。
もとは上道郡竹田地内(現 岡山市中島)に鎮座していたが、天正年間(1573年-1593年)、宇喜多秀家による岡山城城下への引水のため、現在地に遷座した。
寛延4年(1751年)、所在不明となっていた、『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「尾治針名真若比女神社」に比定される式内社(小社)が当地に再興された。
式内社復興の動きにともなうもの。明治8年(1875年)、天津神社が鎮座していた津島の地にこの式内後継社は遷座した。今の尾治針名真若比咩神社である。
当社は天保年間(1831年-1845年)、随神門が再建され、現在の社殿も江戸時代後期のものだという。権現造りの社殿再建は嘉永10年ともされるが、嘉永に10年はなく、不詳。
御祭神は、大国主神・猿田彦神・須佐之男神。「縁結びのお宮」だという。例祭は10月10日で秋祭り、巫女舞・獅子舞などが奉納される。
7月19日には夏祭りが行われ、茅の輪くぐり神事の他、巫女舞・獅子舞などの奉納がある。1月15日がとんど祭で古神礼焼納。
境内社に、天津神社(少彦名命)、志米神社(不詳)、八幡宮(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)、稲荷神社二社(倉稲魂命)、天神社(少彦名命)がある。
【ご利益】
縁結び、厄災除け、病気平癒、交通安全(公式HP)
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