尾張と関係する備前式内の一つ、所在不明後、江戸期再興
尾治針名真若比咩神社 岡山県岡山市北区津島西坂2
[住所]岡山県岡山市北区津島西坂2
[電話]086-241-0967

尾治針名真若比咩神社(おじはりなまわかひめじんじゃ)は、岡山県岡山市北区津島西坂にある神社。笹ケ瀬川東岸、国道53号線と岡山街道、県道238号線が交わる付近で北上。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「尾治針名真若比女神社」に比定される式内社(小社)、江戸期再興の後継社とも。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。『備前国神名帳』では総社本に「尾張針田真若比女神社」、山本氏本に「従四位下尾張針田明神」と記載されている。

当社付近には「半田山」と呼ばれる山があるが、これは「針田山」の誤りで、「針田」の名称は当社から出たものという。

当社はその社名から尾張氏との関係が示唆されているが、付近には同じく尾張氏ゆかりの式内社である尾針神社が鎮座する。

これに関して、尾張氏が尾張から西遷したとする説や、逆に吉備から尾張へ尾張氏が東遷していったという説がある。

主祭神は尾治針名真若比咩命。尾治針姫命とも。『先代旧事本紀』に「天照国輝彦大火明櫛玉饒速日命十四世孫尾治針名根連」がある。

尾治針名根連は、尾張国の式内社である針綱神社・針名神社(論社に式内同名神社烏森天神社)で祀られている。

江戸時代には所在不明になっており、江戸時代中期の寛延4年(1751年)、現在の岡山市北区北方の御崎宮の地に再興された。

現在地には天津神社が祀られていたが、明治に入ってから、当社が当地に移され、天津神社はその境内末社とされた。

もとの天津神社の本殿をそのまま使用したようで、その後、昭和16年(1941年)に本殿の建て替えが行われた。

しかし昭和20年(1945年)6月、岡山空襲の際に焼夷弾の直撃を受けて炎上。現左の傷んだ小さな本殿と拝殿は、戦後の昭和25年(1950年)ごろに建築されたもの。

空襲で社殿が焼失するまでは、本殿の脇に末社が一社祀られていたといい、これが天津神杜ではなかったかといわれている。

当社の例祭は10月26日で秋祭。

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尾治針名真若比咩神社 岡山県岡山市北区津島西坂
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