平安前期創立とも、江戸前期に大元鵜江神社を勧請とも
[住所]岡山県小田郡矢掛町小林1857
[電話]0866-82-2418
鵜江神社(うのえじんじゃ)は、岡山県小田郡矢掛町小林にある神社。井原鉄道井原線の矢掛駅の北。通称は「鵜江さま(ウノエサマ)」。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 小田郡「鵜江神社」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。
平安時代前期の大同2年(807年)の創立と伝わる。御祭神は、吉備津彦命。旧小林村総鎮守である。ただし、東川面の大元鵜江神社には同社を勧請したと伝わる。
大元鵜江神社の明細書には「寛文10年(1670年)再建、願主本村(川面村)並に小林村総氏子中、その後小林に分社す」とある。
この小林の分社が当社のことと考えられ、創建時期はぐっと下って、江戸時代前期になる可能性が高い。ただし、平安前期の下記伝承も残る。
室町時代の文明2年(1470年)の古書に、弘仁年間(810年-824年)、玄賓僧都はかつて当地に巡錫し、鎮守の森の隣りに草庵を結ぶ、とある。鎮座地の僧都という字の由来。
氏子崇敬者はもとより、庭瀬藩からも崇敬され、神刀などの奉納があった。大正元年(1912年)、矢掛神社に合祀されたが、終戦後に独立した。
年々の祭儀は創立当時の往古より現在まで、鳥越大宮司家の世襲により行われ、奉仕されている。例祭は10月第4土・日曜日で秋季大祭。
参道は急で長い石段になっている。左横を簡易舗装された急な坂道が通っており、途中まで車で行ける。
参道の途中に境内社の大国主命社がある。また、中野神社(中宮神社)がある。独立した鳥居、拝殿・本殿を有する本格的な神社。
随神門があり、本殿までは回廊が続き、回廊と拝殿が一体になったような変わった造りになっている。
他の境内社に、黒丸神社、木野山神社、荒神社、愛宕神社、龍王神社などがある。
式内社「鵜江神社」の旧地が大元鵜江神社で、継承しているのが西川面の鵜江神社。宇内にも鵜成神社がある。
【ご利益】
家内安全・病気平癒・五穀豊穣
【関連記事】
・岡山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岡山県に鎮座している神社の一覧
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鵜江神社(うのえじんじゃ)は、岡山県小田郡矢掛町小林にある神社。井原鉄道井原線の矢掛駅の北。通称は「鵜江さま(ウノエサマ)」。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 小田郡「鵜江神社」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。
平安時代前期の大同2年(807年)の創立と伝わる。御祭神は、吉備津彦命。旧小林村総鎮守である。ただし、東川面の大元鵜江神社には同社を勧請したと伝わる。
大元鵜江神社の明細書には「寛文10年(1670年)再建、願主本村(川面村)並に小林村総氏子中、その後小林に分社す」とある。
この小林の分社が当社のことと考えられ、創建時期はぐっと下って、江戸時代前期になる可能性が高い。ただし、平安前期の下記伝承も残る。
室町時代の文明2年(1470年)の古書に、弘仁年間(810年-824年)、玄賓僧都はかつて当地に巡錫し、鎮守の森の隣りに草庵を結ぶ、とある。鎮座地の僧都という字の由来。
氏子崇敬者はもとより、庭瀬藩からも崇敬され、神刀などの奉納があった。大正元年(1912年)、矢掛神社に合祀されたが、終戦後に独立した。
年々の祭儀は創立当時の往古より現在まで、鳥越大宮司家の世襲により行われ、奉仕されている。例祭は10月第4土・日曜日で秋季大祭。
参道は急で長い石段になっている。左横を簡易舗装された急な坂道が通っており、途中まで車で行ける。
参道の途中に境内社の大国主命社がある。また、中野神社(中宮神社)がある。独立した鳥居、拝殿・本殿を有する本格的な神社。
随神門があり、本殿までは回廊が続き、回廊と拝殿が一体になったような変わった造りになっている。
他の境内社に、黒丸神社、木野山神社、荒神社、愛宕神社、龍王神社などがある。
式内社「鵜江神社」の旧地が大元鵜江神社で、継承しているのが西川面の鵜江神社。宇内にも鵜成神社がある。
【ご利益】
家内安全・病気平癒・五穀豊穣
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