東遷で吉備逗留時に神武天皇が創祀とも、10月例祭、4月郷社祭り
[住所]岡山県井原市井原町25
[電話]0865-65-0852
足次山神社(あすはやまじんじゃ)は、岡山県井原市井原町にある神社。小田川西岸、国道486号線の北、近く。郷社足次山神社、単に郷社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 後月郡「足次山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
「足次山」は、「あすはやま」と読むが、古来「あしつきのやま」「あしきのやま」「あすきやま」とも読まれ、一般には「あしつぐさん」と呼ばれている。
足次山の社号に関して、もとは鴫村(しぎむら)にあり、後に月郡の名が起こり、足次山に変化したという。あるいは、志理都紀斗売という名が後月に転じたとも。
社伝によれば、初代神武天皇の東遷の際、吉備国に8年間滞留し、当社を五穀豊穣の神として祀ったという。
また、一説には平安時代前期の貞観元年(859年)12月の創建ともされる。鎮座地は、倉垣の里とも呼ばれていた。
平安時代の長和5年(1016年)、大嘗会和歌集に「くらかきの山」とあるという。
また、足次の神は天神山にも鎮座しており、「天神山村ヤシロ谷ト云フ所ニ御鎮座アリシ足次ノ神ヲモ・・・合セ祭リシ」とある。
つまり、天神山の足次神を倉垣の当社が合祀したともされる。天神山の足次神の遷座・合祀は室町時代の応永(1394年-1428年)のこととされる。
江戸時代前期の寛文6年(1666年)11月、社殿造営の記録が残る。一般に足次大明神、芦次大明神と称された。
江戸時代中期の寛政年間(1789年-1801年)には、井原市・後月郡の産土神として崇敬され、当時の庄屋や年寄全員の連判状が残っている。
明治元年(1868年)、現社号に復し、『式内社調査報告』によれば、明治5年(1872年)、郷社に列した。
郷社に列した年は、『全国神社名鑑』では明治4年(1871年)、『明治神社誌料』では明治6年(1873年)となっている。
明治40年(1907年)1月27日、神饌幣帛供進社に指定された。昭和21年1月10日、県社昇格の内定があったが、間もなく近代社格は廃された。
御祭神は、阿須波神・波比祇神。現在までに、宗像三女神・誉田別神・息長帯比売神なども併せて祀る。
当社では、阿須波大明神が男神で、「足場の神」「旅立ちの神」。波比岐神は安須波大明神ともされ、女神で、「五穀豊穣の神」としている。
なお、宗像三女神ではなく、大帯日子淤斯呂和気命、倉稲魂命、若建吉備津彦命を祀る、とも。
例祭は10月22日で秋季大祭。神楽が行われる。10月第3土・日曜日には当番祭が行われている。
4月4日が秋季大祭で、郷社祭り。本殿での神事の後、倉掛夏目の少女6人による巫女舞が奉納される。他に、2月3・4日が厄除け祈願祭。
社殿の左手前に社日があり、地神碑と書かれている。本殿の左手に境内社が一つ、境内の右手にも末社十社と呼ばれるいくつかの小祠が散在している。
実際には6社のようで、春日神社・稲荷神社・荒神社などのようだ。他に境内には、岡山県十景勝地碑がある。
また、拝殿内部には刀が掲げられ、気吹戸主神像が祀られている。
式内社「足次山神社」の論社は他に、西江原町の足次神社、芳井町天神山の大山神社の摂社がある。
【ご利益】
身体壮健、旅行・交通安全、五穀豊穣

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足次山神社(あすはやまじんじゃ)は、岡山県井原市井原町にある神社。小田川西岸、国道486号線の北、近く。郷社足次山神社、単に郷社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 後月郡「足次山神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
「足次山」は、「あすはやま」と読むが、古来「あしつきのやま」「あしきのやま」「あすきやま」とも読まれ、一般には「あしつぐさん」と呼ばれている。
足次山の社号に関して、もとは鴫村(しぎむら)にあり、後に月郡の名が起こり、足次山に変化したという。あるいは、志理都紀斗売という名が後月に転じたとも。
社伝によれば、初代神武天皇の東遷の際、吉備国に8年間滞留し、当社を五穀豊穣の神として祀ったという。
また、一説には平安時代前期の貞観元年(859年)12月の創建ともされる。鎮座地は、倉垣の里とも呼ばれていた。
平安時代の長和5年(1016年)、大嘗会和歌集に「くらかきの山」とあるという。
また、足次の神は天神山にも鎮座しており、「天神山村ヤシロ谷ト云フ所ニ御鎮座アリシ足次ノ神ヲモ・・・合セ祭リシ」とある。
つまり、天神山の足次神を倉垣の当社が合祀したともされる。天神山の足次神の遷座・合祀は室町時代の応永(1394年-1428年)のこととされる。
江戸時代前期の寛文6年(1666年)11月、社殿造営の記録が残る。一般に足次大明神、芦次大明神と称された。
江戸時代中期の寛政年間(1789年-1801年)には、井原市・後月郡の産土神として崇敬され、当時の庄屋や年寄全員の連判状が残っている。
明治元年(1868年)、現社号に復し、『式内社調査報告』によれば、明治5年(1872年)、郷社に列した。
郷社に列した年は、『全国神社名鑑』では明治4年(1871年)、『明治神社誌料』では明治6年(1873年)となっている。
明治40年(1907年)1月27日、神饌幣帛供進社に指定された。昭和21年1月10日、県社昇格の内定があったが、間もなく近代社格は廃された。
御祭神は、阿須波神・波比祇神。現在までに、宗像三女神・誉田別神・息長帯比売神なども併せて祀る。
当社では、阿須波大明神が男神で、「足場の神」「旅立ちの神」。波比岐神は安須波大明神ともされ、女神で、「五穀豊穣の神」としている。
なお、宗像三女神ではなく、大帯日子淤斯呂和気命、倉稲魂命、若建吉備津彦命を祀る、とも。
例祭は10月22日で秋季大祭。神楽が行われる。10月第3土・日曜日には当番祭が行われている。
4月4日が秋季大祭で、郷社祭り。本殿での神事の後、倉掛夏目の少女6人による巫女舞が奉納される。他に、2月3・4日が厄除け祈願祭。
社殿の左手前に社日があり、地神碑と書かれている。本殿の左手に境内社が一つ、境内の右手にも末社十社と呼ばれるいくつかの小祠が散在している。
実際には6社のようで、春日神社・稲荷神社・荒神社などのようだ。他に境内には、岡山県十景勝地碑がある。
また、拝殿内部には刀が掲げられ、気吹戸主神像が祀られている。
式内社「足次山神社」の論社は他に、西江原町の足次神社、芳井町天神山の大山神社の摂社がある。
【ご利益】
身体壮健、旅行・交通安全、五穀豊穣

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