幕末に再興された式内論社、昭和に社殿倒壊、現在は小祠のみ
[住所]岡山県総社市総社2405
[電話]0866-92-0516
古郡神社(ふるこおりじんじゃ)は、岡山県総社市総社にある神社。桃太郎線の服部駅近く、総社・一宮バイパスの北、岡山自動車道の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 賀夜郡「古郡神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。式内社「古郡神社」は平安時代の嘉祥4年(851年)正月には正六位上、貞観元年(859年)正月26日には従五位下に進んだ。
一説に昔、台風により社殿が崩壊したため、一時期、久米村御崎神社に合祀されていたという。幕末の嘉永4年(1851年)、足守藩の木下利成の援助により再興され。
利成については不詳。藩主にその名はなく、藩主家に連なるものか。幕末期岡山の国学者である平賀元義が当地を調査した記録には、当社がすでに存在していたことを伺わせる記述がある。
明治初年(1868年)、幣殿・拝殿が造営され、その後、村社に列した。しかし、昭和40年(1965年)ごろ、社殿が倒壊した。
現在、昭和55年(1980年)に新調したという、小さな社だけが、社号票とともに台地の上に建てられている。
御祭神は吉備武彦命。例祭は5月1日で、春季例祭。境内社に、稲荷神社がある。地図にも「正一位稲荷大明神」とある場合がある。他に不詳一宇。
それら境内社の左方向には地神が祀られている。また、当社の畑を越えて反対側に、『古郡神社々跡』の石碑がある。
石碑の裏には、「昭和14年(1939年)7月 (吉備郡)服部村 難波萬宇衛門 建立」とある。
なお、式内社「古郡神社」の論社は他に、槙谷の池田神社に合祀された、当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、事業成功

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・岡山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岡山県に鎮座している神社の一覧
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古郡神社(ふるこおりじんじゃ)は、岡山県総社市総社にある神社。桃太郎線の服部駅近く、総社・一宮バイパスの北、岡山自動車道の南。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 賀夜郡「古郡神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。式内社「古郡神社」は平安時代の嘉祥4年(851年)正月には正六位上、貞観元年(859年)正月26日には従五位下に進んだ。
一説に昔、台風により社殿が崩壊したため、一時期、久米村御崎神社に合祀されていたという。幕末の嘉永4年(1851年)、足守藩の木下利成の援助により再興され。
利成については不詳。藩主にその名はなく、藩主家に連なるものか。幕末期岡山の国学者である平賀元義が当地を調査した記録には、当社がすでに存在していたことを伺わせる記述がある。
明治初年(1868年)、幣殿・拝殿が造営され、その後、村社に列した。しかし、昭和40年(1965年)ごろ、社殿が倒壊した。
現在、昭和55年(1980年)に新調したという、小さな社だけが、社号票とともに台地の上に建てられている。
御祭神は吉備武彦命。例祭は5月1日で、春季例祭。境内社に、稲荷神社がある。地図にも「正一位稲荷大明神」とある場合がある。他に不詳一宇。
それら境内社の左方向には地神が祀られている。また、当社の畑を越えて反対側に、『古郡神社々跡』の石碑がある。
石碑の裏には、「昭和14年(1939年)7月 (吉備郡)服部村 難波萬宇衛門 建立」とある。
なお、式内社「古郡神社」の論社は他に、槙谷の池田神社に合祀された、当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、事業成功

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