もとは瀬戸内海の高島、東遷で神武天皇が滞在した地に妃を祀る
[住所]岡山県笠岡市神島外浦1706
[電話]0865-54-2408
神島神社(こうのしまじんじゃ)は、岡山県笠岡市神島外浦にある神社。県道195号線、海沿い。通称は興世明神(おきよさま)。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 小田郡「神嶋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によれば、奈良時代の神亀3年(726年)の創建。市内最古、最も格式の高い神社だという。当社の鎮座する神島の沖に、高島という島がある。
もとは高島の王泊にあったが、後に本土の現在地に遷座したという。旧地は現在の高島神社や高島遺跡の辺りだろうか。当社境内には高島神社碑がある。
初代神武天皇が東遷で九州から畿内へ向う途中、安芸の多祁理の宮を立った後、吉備の高島に仮宮を置いた。いわゆる吉備の高島宮である。
『古事記』によれば、8年滞在した。ちなみに『日本書紀』だと3年。その吉備高島が、当社の沖に浮ぶ高島で、天皇が滞在したため、王泊という名がついた。
御祭神は、神武天皇と、その妃である興世姫命(おきよひめのみこと)。記紀に記載のない妃。現地妻か。数年もの逗留なので、いてもおかしくはない。
妃興世姫命は、部下を率いて駐留し、天業を扶翼して当地で薨去した。近郷住民は、高き尊き御神徳を畏み、産土神として崇敬、奉斎された。
戦国時代の天文16年(1547年)、本殿の造営が行なわれていることが棟札によって知られる。大正15年(1926年)8月15日に第6回目の改修工事が行われた。
例祭は9月第4日曜日で例大祭。神輿渡御があり、露払いの猿田彦命を伴った奴行列がある。
境内社に、キツネの小さな人形が置いてある稲荷神社、戎宮、恵比須宮がある。本殿の屋根瓦に、蔓柏の紋があり、御旅所も鴨野の戎神社、恵比須神とゆかりが深い。
なお、式内社「神嶋神社」の論社は他に、神島天神社に合祀された御崎神社がある。また、吉備の高島宮の伝承地は、当社以外にも多数にのぼる。
【ご利益】
事業成功、安産、海上・交通安全

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[電話]0865-54-2408
神島神社(こうのしまじんじゃ)は、岡山県笠岡市神島外浦にある神社。県道195号線、海沿い。通称は興世明神(おきよさま)。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 小田郡「神嶋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によれば、奈良時代の神亀3年(726年)の創建。市内最古、最も格式の高い神社だという。当社の鎮座する神島の沖に、高島という島がある。
もとは高島の王泊にあったが、後に本土の現在地に遷座したという。旧地は現在の高島神社や高島遺跡の辺りだろうか。当社境内には高島神社碑がある。
初代神武天皇が東遷で九州から畿内へ向う途中、安芸の多祁理の宮を立った後、吉備の高島に仮宮を置いた。いわゆる吉備の高島宮である。
『古事記』によれば、8年滞在した。ちなみに『日本書紀』だと3年。その吉備高島が、当社の沖に浮ぶ高島で、天皇が滞在したため、王泊という名がついた。
御祭神は、神武天皇と、その妃である興世姫命(おきよひめのみこと)。記紀に記載のない妃。現地妻か。数年もの逗留なので、いてもおかしくはない。
妃興世姫命は、部下を率いて駐留し、天業を扶翼して当地で薨去した。近郷住民は、高き尊き御神徳を畏み、産土神として崇敬、奉斎された。
戦国時代の天文16年(1547年)、本殿の造営が行なわれていることが棟札によって知られる。大正15年(1926年)8月15日に第6回目の改修工事が行われた。
例祭は9月第4日曜日で例大祭。神輿渡御があり、露払いの猿田彦命を伴った奴行列がある。
境内社に、キツネの小さな人形が置いてある稲荷神社、戎宮、恵比須宮がある。本殿の屋根瓦に、蔓柏の紋があり、御旅所も鴨野の戎神社、恵比須神とゆかりが深い。
なお、式内社「神嶋神社」の論社は他に、神島天神社に合祀された御崎神社がある。また、吉備の高島宮の伝承地は、当社以外にも多数にのぼる。
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