もと式内、桃山期に天神宮として再興、江戸後期の社殿
横田神社 岡山県総社市久代3632
[住所]岡山県総社市久代3632
[電話]0866-96-0530

横田神社(よこたじんじゃ)は、岡山県総社市久代にある神社。正木山南麓、県道80号線の近く、総社西小学校の近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 下道郡「横田神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。第40代天武天皇がこの地にあった行宮に行在した時、第38代天智天皇の皇子である大友皇子が天皇を倒すために大軍を率いて攻めて来た。

そこで、天皇は自らの体を清めて天神地祇を奉斎して戦勝を祈願、その結果大友皇子軍を打ち破ったことによって小祠を建て、崇敬したのが当社であるともいう。

これは壬申の乱のことであり、672年のこと。ただし、史実としては美濃・近江・伊勢・伊賀が舞台であり、当地の備中とは関係ない。

平安時代前期の嘉承4年(851年)に正六位上、貞観元年(859年)に従五位下の神階を授けられた。

江戸時代後期の天保3年(1836年)建立の境内の石碑やその他の資料によれば、中世に一度衰退し、安土桃山時代の天正13年(1585年)に天神宮として再興したという。

当社周辺は戦国時代に活躍した禅僧の大幾禅師の生まれ故郷であり、終焉の地でもある。当社北方にある天福禅寺は、大幾禅師が幼少期に修行を行った地。

後に文政10年(1827年)頃から天保7年(1836年)頃の間に再整備され、現社号に再度改称した。現在の社殿はその頃のものである。

本殿は、桁行1間・梁間2間の入母屋造平入。南に回廊を通じて拝殿と連絡する。拝殿からさらに東・西・南に回廊が延び、特に南方に向けてのものは長く造られている。

上空から見ると十字型の独特の形をした社殿構成となっている。拝殿西方には社務所、東方には菅原道真を祀る天神宮(てんしんぐう)、南の回廊の先には随神門が建つ。

なお、かつては鎮座地の西方の小字別所地区にある徴林山勝福寺が神宮寺だった。御祭神は、天穂日命と菅原道真。

久代地区の中部・北西部、小字でいえば別所・横田・折神・山口・清水・押木田を氏子地域としている。

例祭は10月21・22日で秋祭であり、神楽殿で備中神楽が奉納される。4月29日が春祭、8月4日が夏祭。

境内には、鐘楼がある。さらに境内南方に神楽殿があり、境内社に先の天神社、龍田神社、廣田神社(廣瀬社?)がある。

その他、小さな祠が多数、祀られている。また、一の鳥居前には天保7年(1836年)建立の浪速狛犬がある。

株式会社ワールドの創業者である木口衛は、当社の氏子として育ち、創業後も氏子として寄付、参詣し、祭事にも度々参加した。境内にはそれを記す石碑がある。

【ご利益】
学業・受験合格、諸願成就
横田神社 岡山県総社市久代
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