県下屈指の巨大洞口と地底湖を祀る「日賣宮さん」、県社昇格
日咩坂鐘乳穴神社 岡山県新見市豊永赤馬6352
[住所]岡山県新見市豊永赤馬6352
[電話]0867-98-3393

日咩坂鐘乳穴神社(ひめさかかなちあなじんじゃ)は、岡山県新見市豊永赤馬にある神社。県道50号線を、中国自動車道の西近くで横道にそれる。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備中国 英賀郡「比売坂鍾乳穴神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

近くに日咩坂鐘乳穴(秘坂鍾乳洞)がある。当地には他に満奇洞、備中鍾乳洞、井倉洞など鍾乳洞が多くある。県立自然公園の特別地域に指定されている。

この秘坂鐘乳穴は県下でも屈指の巨大な洞口と、1600メートルの長さを誇る裂か型の吸い込み穴で、県指定天然記念物。

最終地点は水深32メートルの地下の巨大な湖だったことが判明しており、この湖の水は豊永佐伏の住民の生活の源泉である「湧きあがり」に流出している。

上古、この地の人々がその大洞穴を霊地として崇拝したのが創祀の起源だと考えられている。

奈良時代の天平勝宝2年(750年)、行基が三尾寺を草創すると、山門鎮守の神として、大洞穴の頂上本宮という地に伊弉諾命伊弉冉命を勧請した。

平安時代前期の大同2年(807年)、弘法大師空海が三尾寺を中興すると、当社も隆昌、第53代淳和天皇の御代、天長年間(824年-834年)に社殿を建立した。

当時洞内に石鐘乳(いしのちち)と称する薬石が産し、有名だった。貞観元年(859年)、第56代清和天皇は曲薬頭出雲朝臣峯嗣にこの洞穴から石鐘乳を採った。

その後、本宮の東方平地に社殿を築き、日め宮明神(ひめみやみょうじん)として遷座、大巳貴命を合わせて祀った。

三尾寺が別当職として当社の祭典や社人の管理を行い、江戸時代初期の寛永4年(1627年)、前殿を築き、江戸時代後期の文化12年(1815年)4月、本殿を再建した。

これが現存の社殿である。明治に入ると神仏分離が行われ、明治5年(1872年)、村社に列し、社掌を任命して管理に当たらせた。

明治40年(1907年)5月、神饌幣帛料供進社に指定され、明治42年(1909年)には拝殿の改築と社務所の新築を行い、無格社10社を合祀した。

昭和5年(1930年)10月、氏子一同が由緒正しい式内社として、県社昇格運動が実り、資財を奉献して基本金の造成を図り、県社に昇格した。

通称は日賣宮さん(ヒメミヤサン)。例祭は10月最終土曜日で秋季大祭。旧暦6月11日には御田植祭がある。

なお、洞穴に入るには同市教委への届け出が必要。近年も事故・事件が起きており、また神域でもあるので、みだりにかき回さないこと。

【ご利益】
家内安全、五穀豊穣
日咩坂鐘乳穴神社 岡山県新見市豊永赤馬
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