元寇で狙われた対馬銀山の神、古代の坑道や矢立山古墳群
銀山神社 長崎県対馬市厳原町樫根281-1
[住所]長崎県対馬市厳原町樫根281-1
[電話]-

銀山神社(ぎんざんじんじゃ)は、長崎県対馬市厳原町樫根にある神社。県道44号線、下原簡易郵便局の辺りを南下。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 下県郡「銀山神社」「銀山上神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。『日本書紀』によれば、第40代天武天皇2年(674年)に対馬島司忍海造大国が対馬国で産出した銀(しろがね)を朝廷に献上した。対馬銀山である。

さらに朝廷は対馬島司に命じて金鉱を開発させ、第42代文武天皇5年(701年)に対馬から金が献上された。この結果、朝廷は元号「大宝」を定めた。

『続日本後紀』には「銀山神」とあり、平安時代前期の承和7年(840年)11月、官社に預かった。貞観12年(870年)には従五位上が授けられた。

『延喜式』で対馬の調は銀と定められ、大宰府に毎年調銀890両を納めるよう命じられた。当社も対馬銀山と関係する神だと考えられる。

当地は佐須川流域に位置する集落で、古代の坑道が残されている。近くには国指定史跡の7世紀後半とされる矢立山古墳群があり、鉱山との関係が指摘されている。

なお、『延喜式』神名帳では写本によって、当社名を「かなやま」「しろかね」と読ませている。

御祭神は諸黒神。地祇神を合祀する。『特撰神名牒』では金山彦命とする。両部神道の時代には、六所大明神とも呼ばれた。

諸黒神は当社同様、式内二社の論社である久根田舎の銀山上神社と同じ神。鉱山(かなやま)の神として、異国から来た神だという。

室黒神とも呼ばれ、鉱山の開発に当たって、朝鮮半島から渡来した技術者がもたらした神だとされる。

鎌倉時代の元寇において、元軍の目的は銀鉱山だったとも言われている。実際、当社付近は大きな被害を受けたという。

明治7年(1874年)、村社に列し、現社号に復称した。例祭は3月10日で例大祭。境内には宗助国の「太刀塚」がある。

当社近く、集落奥の法清寺には、千手観音像や木像仏が安置され、この地が古い時代から栄えていたことを感じさせる。

【ご利益】
産業振興、事業成功
銀山神社 長崎県対馬市厳原町樫根
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