境内に神籬磐境、天道山が御神体山、対馬の天童信仰の北の拠点
天神多久頭魂神社 長崎県対馬市上県町佐護洲崎西里286
[住所]長崎県対馬市上県町佐護洲崎西里286
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天神多久頭魂神社(あめのかみたくづたまじんじゃ)は、長崎県対馬市上県町佐護洲崎西里にある神社。国道382号線を佐護から北西に進む。佐護湾近く。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 上県郡「天神多久頭多麻命神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。一説に、初代神武天皇が諸国に詔して天神地祇を祀らせた、その神祠の一つだという。神武天皇の頃、対馬まで祭祀権を得ていたかどうかは不明だが。

ただし、実際に、現在も境内に社殿はなく、石積みの一見ピラミッドなどのようにも見える神籬磐境の祭祀形態を維持している。

境内奥の鳥居の後方、階段の上が神域のようで、御神体の鏡が祀られているのだろうか。

『對州神社誌』に、天道大菩薩とある。現在も「お天道様」と親しまれている。天神多久頭魂神とは、つまり天道。

佐護川対岸の千俵蒔山と相対する位置に天道山がある。『對州神社誌』には天道山を「麦百俵蒔程之山」と記している。

雄嶽(北側)と雌嶽(南側)の二つの峰があって、雄嶽の頂上に当社神は鎮まっているという。

近くに神御魂神社(神御鬼神社。神皇産霊尊)があり、当社神の母だという。その母神が、雌嶽に鎮まっている、ということだろうか。

対馬の北部の港で、朝鮮半島に最も近い場所。そのため、千俵蒔山には防人が配された。頂上に「烽(のろし、とぶひ)」の跡がある。

当社も外敵退散の祈りがこめられ続けたことは想像に難くない。当社の境内はつまり天道山の遥拝所である。

また、対馬の南端、豆酘の龍多山には多久頭魂神社がある。その母神に、境内社の高御魂神社(高皇産靈尊)がある。

対馬の南北に一対の母子神が祀られていることになる。大嘗祭にちなみ、南の多久頭魂神社を「悠紀(ゆき)宮」とするのに対して、当社は「主基(すき)宮」。

あるいは、高御魂神社の御祭神と神御魂神社の御祭神の子が多久頭魂神とも。多久頭魂神は2柱おり、それぞれ父母の近くに祀られた、ということか。

もともと多久頭魂神は対馬特有の神とされるが、『古事記』などに照らせば、天火明命邇邇芸尊の姉弟に擬せられるか。実際、現在の多久頭魂神社では邇邇芸尊も祀られている。

式内社「天神多久頭多麻命神社」は、平安時代前期の貞観12年(870年)、従五位上を授けられた。天神(あまつかみ)と冠称した式内社は全国で四座しかない。

他の論社に、国道382号線を佐護から北西に進んだすぐにある天神神社(天神社)と、峰町三根の小牧宿禰神社境内の天神社がある。

当社は明治7年(1874年)、郷社に列した。御祭神は天神地祇で、多久頭魂命とも多久頭魂神とも。例祭は3月1日と旧暦1月3日。宝物に、丸鏡44面がある。

近辺には、天然記念物のツシマヤマネコが見れる野生生物保護センターや棹崎公園などもある。

【ご利益】
リフレッシュ、平穏安寧
天神多久頭魂神社 長崎県対馬市上県町佐護洲崎西里
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