「てんしょさん」雨乞いの宮、付近17社の総社、境内に大スギ
[住所]京都府福知山市今安961
[電話]0773-23-6082
天照玉命神社(あまてるたまのみことじんじゃ)は、京都府福知山市今安にある神社。JR山陰本線の福知山駅・福知山市民病院口駅の西、国道429号線を西進して間もなく。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天照玉命神社(丹波国・天田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。一説に、第13代成務天皇の御代、天火明命十二世孫である建稲種命のさらに四世孫の大倉伎命が丹波国造に任ぜられ、祖神を祀ったのが当社の起源という。
御祭神は、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊。天火明命(天照国照彦火明命)のこととも。各地にある天照御魂神社と同系列のものだろう。
ただし、江戸時代には天照大神を祀る社と思われていたといい、天照大神が丹後から伊勢へ遷座する時、当地に留まったという元伊勢伝説も残っているという。
当社の位置であれば、『倭姫命世記』にある吉佐宮か。そうであれば、第11代垂仁天皇45年、倭姫命の勧請となる。
平安時代前期の大同3年(808年)、丹波直人が当社に仕えたという。
鎌倉時代後期の延慶2年(1309年)藤原長清撰『夫木集』に「丹波国天照る乃社にて」と題して、丹波忠茂朝臣の下記の歌が掲載されている。
和久庄にあるため「和久神社」とも表記され、雨乞いの神として「雨乞いの宮」「雨の宮」とも称された。
『式内社調査報告』によると、現地では「てんしょさん」と俗称されているといい、この地方に里謡に以下のものがある。
夏至の時、当社から見ると鳥ヶ岳と鬼ヶ城の間ぐらいから太陽が上がり、この二者の延長線上に穴裏峠があり、太陽はここに没する。
享保14年(1729年)3月、朽木玄綱によって社殿造営が行われたが、現在の社殿は大正9年(1920年)、氏子の寄進により、3年かけて再建されたもの。
明治15年(1882年)頃、15ヶ村と産土神17社の総社となり、祭日には、社前に17本の幟が立てられ、現在も本殿の左右に九神社、八神社が祀られている。
本殿の右の九神社には、阿光照神社・粟島神社・鹿島神社・御土路神社・熊野神社・賀茂神社・武神社・聖神社・八柱神社。その右には、豊富神社・祖霊社が祀られている。
本殿左の八神社には、高杉神社・榎原神社・大歳神社・八幡神社・須賀神社・八柱神社・熊野神社・武神社。その左手には、享保2年(1717年)建立の校倉造の宝庫がある。
例祭は10月9日で例大祭。境内には樹齢300年、樹高32メートル、目通り幹囲5メートルのスギがある。
【ご利益】
五穀豊穣
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[電話]0773-23-6082
天照玉命神社(あまてるたまのみことじんじゃ)は、京都府福知山市今安にある神社。JR山陰本線の福知山駅・福知山市民病院口駅の西、国道429号線を西進して間もなく。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天照玉命神社(丹波国・天田郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。一説に、第13代成務天皇の御代、天火明命十二世孫である建稲種命のさらに四世孫の大倉伎命が丹波国造に任ぜられ、祖神を祀ったのが当社の起源という。
御祭神は、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊。天火明命(天照国照彦火明命)のこととも。各地にある天照御魂神社と同系列のものだろう。
ただし、江戸時代には天照大神を祀る社と思われていたといい、天照大神が丹後から伊勢へ遷座する時、当地に留まったという元伊勢伝説も残っているという。
当社の位置であれば、『倭姫命世記』にある吉佐宮か。そうであれば、第11代垂仁天皇45年、倭姫命の勧請となる。
平安時代前期の大同3年(808年)、丹波直人が当社に仕えたという。
鎌倉時代後期の延慶2年(1309年)藤原長清撰『夫木集』に「丹波国天照る乃社にて」と題して、丹波忠茂朝臣の下記の歌が掲載されている。
大江山 昔のあとの 絶せぬは 天照神も あはれとや見む戦国時代以後、衰微していたが、江戸時代前期の承応2年(1652年)、福知山藩主松平忠房によって再建された。ただし当時は、天照皇大神宮として崇敬されていたという。
和久庄にあるため「和久神社」とも表記され、雨乞いの神として「雨乞いの宮」「雨の宮」とも称された。
『式内社調査報告』によると、現地では「てんしょさん」と俗称されているといい、この地方に里謡に以下のものがある。
和久の天照(てんしょ)は雨の宮、雨がほしくば天照へまいれ『曾我井伝記横山硯』によれば、「古は半田村二本木」という所に鎮座していたという。半田は、現在地の隣、和久川の側。近くの阿光照社が旧地とも。
夏至の時、当社から見ると鳥ヶ岳と鬼ヶ城の間ぐらいから太陽が上がり、この二者の延長線上に穴裏峠があり、太陽はここに没する。
享保14年(1729年)3月、朽木玄綱によって社殿造営が行われたが、現在の社殿は大正9年(1920年)、氏子の寄進により、3年かけて再建されたもの。
明治15年(1882年)頃、15ヶ村と産土神17社の総社となり、祭日には、社前に17本の幟が立てられ、現在も本殿の左右に九神社、八神社が祀られている。
本殿の右の九神社には、阿光照神社・粟島神社・鹿島神社・御土路神社・熊野神社・賀茂神社・武神社・聖神社・八柱神社。その右には、豊富神社・祖霊社が祀られている。
本殿左の八神社には、高杉神社・榎原神社・大歳神社・八幡神社・須賀神社・八柱神社・熊野神社・武神社。その左手には、享保2年(1717年)建立の校倉造の宝庫がある。
例祭は10月9日で例大祭。境内には樹齢300年、樹高32メートル、目通り幹囲5メートルのスギがある。
【ご利益】
五穀豊穣
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